AIの文章に違和感を持てるか|任せていいことと人間に残る仕事

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DXportal®では、毎日3本、1週間に21本、月に90本ほどの記事を、編集長である私がAIと一緒に作っています。AIを使うようになって、仕事が早く、効率的になったため、この運用が実現できているのは間違いありません。

一方で、AIを使うようになって、一から記事を書くことが面倒だと感じてしまうことも正直あります。もう、AIなしで編集部を運営することなど、考えられないぐらい私の生活と仕事にAIは入り込んでいるのです。では、AIに任せる代わりに、私は何かを手放していのでしょうか。

AIに任せていいことと人間に残る仕事を分けるのは、AIの出力に違和感を持てるかどうかだと考えています。手元に残したいのは、AIの出力に違和感を持つ感覚です。本記事では、AIを活用する際に感じる違和感と、AIに任せていい仕事と人間に残しておくべき仕事について考えます。

【本記事の要点】

  • 毎日3本の記事をAIと作る編集長は、AIで仕事が速くなった一方で、一から書く面倒さも感じている
  • 道、計算、漢字、電話番号のように、人は便利さと引き換えに手放してきたものがあり、AIが初めてではない
  • 編集長が検収で見ているのは事実より違和感で、違和感を感じずにAIを使うことを危険だと考えている
  • 任せていいのは作業で、手元に残したいのは、出力を見て「おかしい」と気づく感覚である

AIで仕事は速くなったが、一から書く面倒さも増えた

AIで作業が速く進むことと、道、計算、漢字、電話番号を覚える負担を手放すことの関係図

AIと記事を作るようになって、仕事は速くなり、書く、直すという作業の中身も変わりました。

毎日3本、月約90本を1人で管理する現実

当サイトでは、現在毎日3本ずつ、1週間に21本、月間で90本ほどの記事を投稿しています。この本数のすべてを私が1人で管理している以上、人力でやるのは、不可能とは言いませんが、かなり現実的に厳しいというのが実感です。

ハルシネーション(AIがもっともらしい誤りを書くこと)のチェックまで含めてAIを使うこと自体は、手放せるとは思っていませんし、それ自体は時代の流れを鑑みても自然の流れだと考えています。

直すときもAIに頼むようになった

ただし、いくらAIで記事を作成しているといっても、記事を公開処理する前に私がすべての記事を読んで確認し、検収する工程を挟んでいます。この検収作業がなかなか厄介で、コチラの思った通りの記事ができあがっていない状況を目の当たりにすることも少なくありません。正直、そのたびに「こんなに書き直すくらいなら、AIに書かせなくてもいいのではないか」と思ってしまうこともあります。

しかし、今は直接私がPCで記事を直すのではなく、細部の言葉を調整するときも、AIに音声入力などで「ここっておかしくない、もうちょっと◯◯の方向で直して」と頼んで直してもらうことも多くなりました。これだと、やはり一から十まで自分で直すよりは圧倒的に作業効率が上がります。

それどころか、最近は一から記事を自分で書くことが、正直面倒だと感じる瞬間があることは否定できません。

では、こういう状況を続けていると、私は文章が下手になったのでしょうか。正直、自分では分かりませんが、SNSとなどではそうした実感を覚える人も少なからずいるようです。

便利さと引き換えに手放すのは、AIが初めてではない

いつの時代も新しい技術が出るたびに、それを否定する声はありました。スマホが出たときにも「スマホなんていらない」と言う人がたくさんいましたが、今はほとんど当たり前に使っています。パソコンが出たときも、インターネットが世の中に生まれたときも、おそらく同じだったのでしょう。

ChatGPT(OpenAIの対話型AI)の登場から続く今のAIの進化は、そのときに匹敵するゲームチェンジ(従来の枠組み・常識・ルールがまったく通用しなくなり、状況や競争の前提が根本からひっくり返るような変化)だと私は考えています。だからこそ、私はAIを使うことを否定するつもりはなく、むしろ人よりは早くから積極的に使ってきたと思っています。

しかし、技術の進化で世の中が便利になった一方、人が手放してきたものもたくさんあるはずです。主だったものをまとめてみました。

便利になった技術手放してきたもの
地図アプリ道を覚えること
電卓計算力
ワープロやパソコン漢字を覚えること
携帯電話電話番号を覚えること

電卓、携帯電話、ワープロの例は、以前にも記事にしています。AIは思考力を奪うのか|GPSと自動操縦では、私たちがすでに何度も同じ代償を払ってきた例を扱いました。電卓が普及したあともそろばんが教育現場に残った理由を扱った記事でも、同様の技術が進むことによる影響を扱っています。

AIによる効率化で書く・直すという作業の中身が変わったのも、便利さと引き換えに何かを手放してきた流れの延長にあるのです。

だとするのならば、ここは多少甘んじてでも新しい技術にどう対応し、自分たちの生活にどう生かしていくのかを考えることが、新しい時代を生きる私たちには必要な生きる知恵なのではないでしょうか。

手元に残したいのは、AIの出力に違和感を持つ感覚

AIの出力を見て違和感に気づき、任せる作業と最後の判断を分ける編集工程図

AIに任せるものと、手元に残したいものを、私がAI編集部を運営している経験から考えて整理してみましょう。

検収は、私がAIの出した記事を読んで、おかしなところがないかを確かめる仕事です。事実の確認は、品質管理を担うAIが行います。私が検収で見ているのは、AIが出した生成物に対する違和感です。では、その違和感とは何でしょうか。私の感じる違和感をあえて言葉にしてみると、大きく次の2つに分けられます。

1つめは、日本語としての不自然さです。AIは、英語で考えたことを日本語に訳したような文章を書くことがあります。日本のモデルではないからか、日本人ならこんな言い方はしないだろう、と感じる箇所が出てきます。

2つめは、私ならこうは書かない、という感覚です。私には書き手としての癖がありますが、AIの文章にはそれがありません。事実が合っていても、自分ならこうはしないと感じることがあり、それがすべてダメというわけではありません。

どれだけ自分好みにAIを育て、禁止する表現などのルールをいくら与えても、現時点でAIが完全に私が好む文章を書けるまでにするのは本当に大変です。それには、ライターとしての技術と同時にAIエンジニアとしてのスキルも必要なのかもしれません。修正は少しずつ減ってきましたが、まだまだゼロにはできないのです。

記事を直すときに働いているのは、私がWEBライターとして培ってきた文章を書く力量と経験です。「これで本当に読者は満足するだろうか」「読者が読んで、意味が通じるだろうか」と感じられるのも、その経験があるからだと思っています。つまり、違和感を感じ取る力は、書いてきた経験に支えられている、といってよいでしょう。

つまり、AIの中身を検収するときに私が感じる「違和感」こそが、AI時代に人間が持っておくべきものではないか。私はそう考えずにいられないのです。

だからこそ私は、AIが今後どれだけ進化しても、その仕事に違和感を感じなくなってしまったら終わりなのではないかと思っています。文章を書くことが下手になったかどうかよりも、違和感を感じずにAIを使ってしまうことは危険なのです。着地点は、そこになるのではないでしょうか。

ここまでを整理すると、任せていいのは作業で、手元に残したいのは、出力を見て「おかしい」と気づく感覚です。

ちなみに、先日の記事で紹介した、動画編集チームのディレクターのKANAさんも、自身の書くnoteの記事のなかで、AIを使うほど自分で考える時間が減っていないか、という私と同じような違和感について書かれていました。

まとめ:任せることと、違和感を手放さないことは両立する

AIに任せることと、出力に違和感を持つ感覚を手放さないことは、両立します。毎日3本の記事をAIと作れているのは、書くことも直すことも、AIに任せているからです。便利さと引き換えに何かを手放す流れは、道や計算、漢字、電話番号のように、AIより前からありました。

そのなかで私が手元に残したいのは、検収でAIの文章を読んだときに、「おかしい」と気づく感覚です。事実の確認はAIに任せられても、日本語として自然か、読者に意味が通じるかを感じ取れるのは、私が文章を書くスキルをそれまで磨いてきた経験があるからだと考えています。

つまり、任せていいのは作業で、残すべきなのはAIの作業を見た時に感じる違和感なのではないでしょうか。どこまでAIに任せるかは、違和感を持てるかどうかで判断できるのです。

町田 英伸

執筆者

DXportal編集長

町田 英伸

自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。