成功事例から学ぶべきは手法ではなく本質:現場に合わせたDXの進め方
業務のつながりを可視化し、ボトルネックを見極めることが解決の糸口になるのですね。それでは、こうした視点を踏まえて、郡司さんが考えるDXの成功事例を教えてください。
郡司氏

「代表的な成功事例は、北部九州を中心にホームセンター『グッデイ』を展開する株式会社グッデイです。現・代表取締役社長の柳瀬隆志氏が、次期社長候補として2008年に入社した当時、社内には従業員用のメールや公式WEBサイトがなく、連絡手段は紙、固定電話、FAXが中心でした。転機となったのは2014年です。柳瀬氏は、経営判断に必要な数字をリアルタイムで把握できない状況を変えるため、まず自らクラウド型の分析ツールを試し、独学でデータ分析を始めました。次に、社内の有志数名と勉強会を立ち上げました。全社員にツールの利用を強制するのではなく、既存データの可視化や会議資料の削減など、身近な業務課題から成果を積み上げました。
経営者が自らデータを使って意思決定し、その有用性を具体的に示したことで、社員の間にも『経験と勘だけでなく、数字を見て判断する』意識が広がりました。その結果、2015年から2020年までの5年間で売上高は25%伸び、2022年には第1回日本DX大賞の大規模法人部門で大賞を受賞しています。
ポイントは、デジタルツールを導入したことそのものではありません。経営層による方向づけと現場主導の改善を組み合わせ、業務、意思決定、人材育成を一体で変革した点です。」
実は、先日ある大学教授に成功事例を求めたところ、「事例を聞いて成功した人はいない」と断られてしまいました。郡司さんは事例についてどう捉えていますか。
郡司氏
「そもそも『なぜ事例を欲しがるのか』という問題です。自社で取り入れる際、競合他社の事例は『他社に劣後しないため』という理由で社内承認が通りやすく、失敗しても責任を追及されにくいからです。もう1つの理由は、事例があれば自分で考えなくて済むからです。
しかし、前提となる目的や背景、経営環境が違えば、最適な打ち手も変わります。たとえば、かつて中国でEC化率が急伸した背景には『低い自家用車所有率』『スマホと決済インフラの一括普及』『低賃金ギグワーカーと高所得都市部の格差』という独自の前提がありました。この背景を無視し、日本の地方で同じようなクィックコマースを模倣しても成功しません。」
「事例ありき」ではなく、自社の実態に合わせた展開こそが重要だということですね。
郡司氏
「その通りです。『フィット&ギャップ(本質と現地適合のバランス)』の観点ではユニクロが非常に優れています。
私は海外小売視察を頻繁に行いますが、ユニクロはRFIDレジや陳列といった『核』は世界共通にしつつ、現地の環境に合わせて柔軟にカスタマイズしています。
たとえば、インドでは酷暑に対応する開襟の速乾素材シャツや、お腹が出ている体型に合わせたXXXLサイズまでの店頭展開、労働人口の多さを活かした優秀人材の採用と教育。英国は、EC化率が高く『クリック&コレクト(ネット注文・店舗受け取り)』の需要が多いため、旗艦店に最新の専用機器を導入しています。
このように軸をブレさせず、現地の前提条件に合わせて最適化できている点こそ、世界で成果を上げている理由です。」
軸をぶらさずに現地へ最適化する姿勢が、ユニクロの強さの背景にあるのですね。郡司さんご自身も、年間多くの国へ視察に赴いているとのことですが、その目的は何ですか。
郡司氏
「基本は一次情報(自身の目と体験)を得るための自主的な活動です。海外は年3〜4回、国内店舗も含め年間500店舗を見ることを目安にしています。テーマに関心を持つ媒体社や取引先から費用の一部を負担していただくこともあります。
たとえば先日、英国へ渡航した際は現地小売業幹部の悩みに対して解決方法を提示しましたが、『プロジェクトの重複でメンバーが疲弊している』というような課題は日本と同じでした。
またドイツでは、売上約3.5兆円規模のドラッグストア最大手『dm』を視察し、旅費の一部を支援していただいた取引先に専用の研究レポートを提出しました。AI時代だからこそ、現場に足を運んで得る生の一次情報が独自の強力な資産になります。」
一次情報が未来を読む力になる:著書に込めた「不易流行」という思想
昨年8月に、著書『小売業の本質2025DX』を執筆されました。経緯を教えてください。
郡司氏
「2018年に独立した際、自身の知見を整理するために書き溜めていた原稿がベースです。当時は出版企画のタイミングが合わず保留にしていましたが、Amazonでペーパーバックのセルフ出版が可能になったことを機に形にしました。
執筆の目的は、小売の構造に詳しくないITベンダーやメーカーの方々に、『なぜスーパーとドラッグストアでレジの並びが違うのか』などといった、業界の前提知識を理解していただく『教科書』として使ってもらうためです。その後、コロナ禍による行動変化の修正や生成AIの急速な普及を踏まえ、全体の3〜4割を加筆・修正してリニューアル出版しました。」
業界の前提知識を伝える『教科書』として、書き溜めた知見を形にされたのですね。本書を通じて、読者に最も伝えたかったことは何ですか。
郡司氏
「『不易流行』です。変えてはならない本質(不易)と、時代に合わせた変化(流行)の両方が必要です。
去年訪れたロサンゼルスなどでは生成AIがすでに定着していましたが、これが日本に同じレベルで浸透するのは5年先だと感じています。米国で起きている現実は、日本の近未来の姿として非常に再現性が高いものです。そうした『日本の未来像』を提示するため、巻末に事例を盛り込みました。」
今年2月に発行された日経MOOK『小売業と店舗の最新トレンド2026』(日本経済新聞出版)では、日本オムニチャネル協会 理事の逸見光次郎氏とお二人で監修を務められました。こちらの本を読者にどう活用してほしいですか。
郡司氏
「このMOOK本は、小売業のDXトレンドを網羅的に整理した1冊です。構造としては、経営の基本から始まり、『何を売るか』『どう店舗に並べるか』『どうマーケティングするか』『接客・決済のクロージング』という一連の流れと、それを支える『データ活用』などの仕組みをわかりやすく解説しています。話題になっているトレンドの中から一律のブームではなく、今後本当に定着する本質的な動きをピックアップしています。」
同書の第三特集「データ活用の最新トレンド」では、近年急速に進歩しているAIも取り上げられています。AIは、日本の小売業をどう変えていくとお考えですか。
郡司氏
「顧客に直接価値を提供するサービスへと繋げられるか否かで、大きな格差が生まれます。優れた事例として米ホームデポが挙げられます。彼らは熟練社員の専門知識をデータ化し、AIが高度な質問にもプロレベルで回答する仕組みを構築しました。これにより、専門人材が不足している店舗やオンライン上でも高品質な接客が可能になります。このような投資を行う企業と、現状維持に終始する企業とでは顧客支持に圧倒的な差がつきます。
ただ、こうした仕組みは自社開発(内製)されることが多く、外部からは見えにくいのが特徴です。日本の多くが安易にITベンダーの既存パッケージに頼ろうとすると、成果を出せる変革に至らない恐れがあります。」
経営者に求められるのは「あるべき姿」の具体化:DX成功への第一歩
最後に、DX推進に悩む経営者へメッセージをお願いします。
郡司氏
「まずは、『自分たちのあるべき姿』を具体化し、現状とのギャップを極限まで細かく把握することです。
たとえば『接客重視』を掲げるなら、『新人のアルバイトでもプロ並みに即答できる状態』まで落とし込みます。米トラクターサプライ社では、スタッフがヘッドセット越しにAIへ質問し、専門的なアドバイスを即座にお客さまへ伝える仕組みを導入しています。一方、『セルフ化と商品力で勝負する』なら、また別のデジタル活用が必要です。
デジタル導入自体が目的ではありません。自社が目指す姿(あるべき姿)をどれだけ解像度高く描けるかが、すべての出発点になります。」
【取材を終えて】
今回の取材を通じて最も印象的だったのは、郡司氏が終始一貫して「DXはデジタルの話ではなく経営そのものだ」と語っていたことです。AIやデータ活用などの先端技術が注目される一方で、それらはあくまで変革を実現するための手段に過ぎません。成果を生み出す企業は、目指すべき姿を明確に描き、その実現に必要な仕組みや組織、人材、デジタルを一体で設計しています。
一方で、他社事例や流行の技術を追いかけるだけでは、本質的な変革にはつながらないという指摘には、大きな説得力がありました。また、年間数百店舗を訪れ、海外にも積極的に足を運び、自ら一次情報を収集し続ける姿勢からは、現場こそが最良の学びの場であるという信念が伝わってきます。
DXが加速する時代だからこそ、経営者やDX推進担当者には、技術ではなく「顧客にどのような価値を提供したいのか」という原点に立ち返る視点が求められているのではないでしょうか。郡司氏の言葉は、その本質を改めて考える貴重な示唆を与えてくれました。
DXportal®編集部
店舗のICT活用研究所 代表 郡司 昇氏
店舗のICT活用研究所の代表を務め、小売業に対して、デジタル技術とデータ活用によるDX推進のコンサルティングを提供する。特に、実店舗中心の小売業のDX推進に力を入れている。また、IT企業に対しては、その企業が持つ優れた技術を小売業にどのように役立てることができるかのアドバイスを行っている。他にも、日本オムニチャネル協会 分科会リーダーなども務めている。著書・監修図書に『小売業の本質2025DX』『小売業と店舗の最新トレンド2026』がある。
執筆者
DXportal®運営チーム
DXportal®編集部
DXportal®の企画・運営を担当。デジタルトランスフォーメーション(DX)について企業経営者・DX推進担当の方々が読みたくなるような記事を日々更新中です。掲載希望の方は遠慮なくお問い合わせください。掲載希望・その他お問い合わせも随時受付中。
