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相鉄線の天王町駅のすぐそばに、横浜ビジネスパーク(YBP)という場所があります。会社の敷地なのに、一般の人が入って歩き、休める。この曖昧さの理由を考えているうちに、企業のDXでよく起きることを思い出しました。
「DXを進めよう」と考えるとき、多くの会社はまず自社の中を整えることから始めます。システムを統一し、ルールをそろえる。その代わり、外部との連携や地域や他社との協業は後回しになりがちです。けれど、内側を完璧に整えるほど、外の変化に対応しにくくなることは少なくありません。
本記事では、YBPの成り立ちといちばん目を引いた景色をたどりながら、何もかもそろえたはずの場所がなぜ動きにくい壁になるのか、そしてこの敷地を実際に「街」にしているのが誰なのかを、順に見ていきます。
【本記事の要点】
- 横浜ビジネスパークは、社員に必要なものを全部、敷地の内側にそろえた自己完結型の設計でつくられた
- 敷地でいちばん目を引くのは、仕事の生産性に直接寄与しない場所(水盤、彫刻、人工の丘)だった
- 完結した世界をつくると、その完全さ自体が、動かしにくさや壁になる
- この敷地を一日じゅう人のいる街にしているのは、働く人よりも、外から来た人である
オフィスの顔をした、開かれた入口
私は、この場所の近くを散歩でよく通ります。長いあいだ、オフィス棟が並ぶだけの場所だと思っていました。敷地の反対側にあるカフェ&レストランや、屋外の広場を自由に歩けることは、それまでも知っていました。けれど、この写真の入口から実際に足を踏み入れたとき、思ってもみなかったものを見ることになりました。
上の写真は、YBPの入口の1つです。
- 両側に大きな並木が続く石張りの参道
- 正面に低いエントランス棟
- 背後に御影石とガラスの高層タワー
外観だけを見れば、いかにも大企業の本社ビルの入口に思えます。
ところが実際に入ってみると、ロビーの先に彫刻や絵画が並ぶ広場のような空間が続いていました。涼しい室内にベンチが置かれ、彫刻や絵画に囲まれて座れる。自動販売機もあり、涼みながら水分補給もできます。
オフィスビルのロビーというより、無料の美術館の休憩スペースに近い感覚でしょうか。カフェ&レストランや屋外の広場だけでなく、いかにもオフィスビルに見えるこの入口の先まで、一般に開かれていたということです。
この見た目と実態の違いが、この場所の性格をよく表しています。
会社は、街をまるごと敷地の内側に入れた
この敷地がどういう考えでつくられたのかは、案内板を見るとよくわかります。
3つのタワーに加えて、光・彫刻・絵画・水と名づけられたホール、人工の丘、スポーツクラブ、カフェ&レストラン、銀行、郵便局、コンビニまで、1枚の案内板に収まっています。芸術も運動も食事も、お金の出し入れも買い物も、暮らしに必要なものが一通りそろう。横浜ビジネスパークという1つの敷地の中に、小さな街がまるごと収まっているのです。
YBPが建つ場所は、もとは日本硝子の横浜工場でした。国立国会図書館の資料によると、この工場は1985年に操業を停止し、跡地に生まれたのがYBPです。公式サイトには、中央の「水のホール」をイタリアの建築家マリオ・ベリーニが手がけたと記されています。
YBPという施設に興味を持って、私が調べてみたところ、WikipediaにYBPが1990年に開業したこと、地価や株価が上がり続けたバブル景気のさなかに建てられたこと、そして独特の景観から数多くのドラマや映画、特撮作品のロケ地に使われてきたことなどが書かれていました。
同じ規模の予算は、いまなら働き方の柔軟さやデジタルの仕組みに向かうかもしれません。当時は、建築と文化が、人と企業の格をつくる投資だったのでしょう。
出典・参照:
要塞のような丘、その内側は水の広場
入口とは反対側、カフェ&レストランのあるほうから敷地に入ると、まず目に入るのがこの光景です。段状の擁壁に囲まれ、トンネル状の開口が1つあるだけの、要塞のような丘。初めて見たときは、近づいてもこれが何なのかよくわかりませんでした。
これは、「ベリーニの丘」と呼ばれる、敷地の中央のモニュメントです。反対側に回り込んでみて、ようやく合点がいきました。この丘が囲んでいたのは、円形の水の広場だったのです。
案内板では「水のホール」と呼ばれています。中央にあるのは、池というより大きな水たまりに近い水面です。それを、古代の闘技場のような石造りのベンチがぐるりと取り囲んでいます。写真に黒い窓のように見える部分の奥に、石造りのベンチがぐるりと池を囲んでいるのです。もしかしたら、バブルの時代には、ここは噴水だったのかもしれません。けれども今は、水面が静かにたたえられているだけの姿になっています。
私は散歩の途中、そこまで暑くない日には、建物のなかに入らずこの石のベンチに座ります。自動販売機で買ったペットボトルの水を飲みながら、風に吹かれて一息つく。オフィスの生産性には何の関係もない、敷地の中でいちばん心地よい場所の1つです。
これだけの面積と意匠を、仕事の効率に直結しない空間に割く。当時の感覚では、優秀な人を引きつけ、企業の格を示すには、建築と文化が有効な投資でした。「閉じた外観と、豊かな内側」。この落差が、敷地全体の性格を象徴しています。
同じ構造は、企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)にも見られます。
- すべてを一体で組んだシステム
- 囲い込み型のサービス
- 部門と部門のあいだの壁
- 何もかも自社で作る内製
どれも、内側だけで完結させようとした結果です。そして、完結させるほど、その完全さ自体が、外とつなぐときや作り替えるときの壁になります。きれいに閉じた丘は、外からは中が見えず、入口も限られています。
街にしたのは、外から来た人だった
ここで、この敷地を実際に「街」にしているのは、誰かを考えてみましょう。
平日の日中、低層部や広場を歩いても、ほとんど人に会いません。就業者は建物の中にいるからです。ところが昼休みになると、様子が一変します。弁当の販売が出て、彫刻や絵画に囲まれたベンチは、昼食や休憩をとる人であふれます。案内板には、一般向けのスポーツクラブやカフェ&レストランの表示があり、「無料で誰でも」参加できる催しの貼り紙も出ていました。私が訪れたとある日は、広場で地域の催しのようなイベントが開かれる日だったようで、ロビーではその準備に人々が追われていました。
働く人だけを前提にすると、この敷地は昼休みの1時間ほどしか人のいる場所になりません。しかし、一般に開き、飲食や地域の催しを受け入れたことで、はじめて1日じゅう人のいる場所になったのです。
設計図が想定したのは社員の街でしたが、実際に街にしたのは、散歩の市民、昼休みの人、催しの参加者でした。
天王町の一帯では今、YBPが生まれた1990年ごろとは比べものにならないほど大きな変化が進んでいます。すぐそばの相鉄線の高架下も、駐輪場や個室型のワークブースを備えた空間へとつくり替えられました。
このエリアのなかで、敷地の内側だけで「街」をつくったYBPは、今ではむしろ古参の存在です。それでも、社員以外の人にも開いてきたという選択は、天王町という街そのものが本物の街として育っていく、その先駆けだったのかもしれません。
まとめ:完結させるより、開けておく
会社が自前で完璧な世界をつくっても、それが「街」として生きるのは、境界を開いた部分だけでした。横浜ビジネスパークは、社員のために必要なものを全部そろえた場所です。それでも、1日じゅう人がいるのは、外の人を受け入れた部分です。
企業のDXも、これと同じ形をしています。道具をそろえること以上に、外とつながる余地と、あとから作り替える余地を残しておくことが重要です。
YBP自身も、変わり続けています。駅前で長く親しまれてきたスポーツクラブ(ルネサンス天王町店)は2026年2月に閉店し、敷地内では野村不動産による研究開発向けの新しい棟の建設が進んでいます。「ここでしかできないこと」に絞り直す動きは、今も続いているのです。
完結した世界は、変化が来たときに動かしにくい。自社の仕組みや組織や拠点は、内側だけで完結させようとしていないだろうか。外とつながる余地を残し、そのうえで変わり続けること自体が、企業のDXに求められる姿なのかもしれません。
次に街で、立派に整った敷地を見かけたら、そこに通りすがりの人がいるかどうかを、少しだけ気にしてみてください。街にするのは、たいてい外から来た人です。
出典・参照:
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。





