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「KPIを厳格に運用しているのに、現場の反応がだんだん鈍くなっていく」
「数字は伸びているのに現場からのアイデアや工夫が減った気がする」
DXの成果を数値で報告しなければならない立場にある方から、このような声が寄せられることがあります。数値目標を追いかけるほど、社員のやる気が上がるどころ、かえって下がっていくような感覚は、多くのDX(デジタルトランスフォーメーション)推進担当者が抱えている現場の違和感ではないでしょうか。
経済産業省とIPAは2026年2月にDX推進指標を改訂し、自己診断の枠組みを再定義しました。企業がDXの成熟度を数値で評価する場面はこれからも増えていく見込みです。今やKPIをどう設計し、どう運用するかを問い直すべき時期に差しかかっていると言えるでしょう。
本記事はDXportal®編集部の考察として、グッドハートの法則という経済学の古典的な知見を補助線に、DX関連のKPIがなぜ社員のやる気を削ってしまうのかという構造を解きほぐします。読み終えた後には、自社のKPIが数値化しやすいものだけに偏っていないかを見直す視点、そして現場の工夫を評価対象から締め出さないための着眼点が得られるはずです。
【本記事の要点】
- 問題はKPIそのものではなく、数値化しやすい指標だけを評価対象とする運用にある
- 指標は目標として扱われた瞬間に、本来測りたかった実態を反映しなくなる(グッドハートの法則)
- DXの成果には数値化しにくい要素が含まれるため、定性評価との併用が現場疲弊を防ぐ
- 次の一歩は、追っているKPIが本来何を測りたかったのかを振り返ることから始まる
KPIを追うほど現場が冷めていく違和感の正体
DX推進担当者や管理職から「KPIを追いかけるほど社員のやる気が下がる気がする」という相談を受けることがあります。この違和感は錯覚ではなく、指標運用の副作用が現場に表れているサインだと我々は考えています。ここでは、その違和感の背景にある3つの事実を確認します。
数字は伸びても、社員のエンゲージメントは伸びない
Gallup社の2024年調査によれば、日本の従業員エンゲージメントは6%と報告されており、世界最低水準に位置づけられました。KPIを厳格に管理する日本企業ほど、皮肉にも社員の熱量が下がっているという構図が浮かびます。数値管理を強化するほど従業員が疲弊するという矛盾は、KPIの設計と運用を問い直す出発点です。
KPIが「達成すべきノルマ」に変質する
本来KPIは、経営目標に向けた進捗を測るための道具です。しかし現場では、いつのまにか「達成すべきノルマ」として扱われる場面が目立ちます。ノルマ化したKPIは、達成のために手段が選ばれ、数字の外側で行われる工夫や挑戦が評価対象から抜け落ちる状態を生みかねません。
DX推進担当者への負荷集中
IPAが公開した『DX動向2024』では、DX人材の質・量の不足が深刻化し、推進担当者への負荷集中が経営課題として整理されています。KPIの報告作業が増えるほど、担当者は「数値をまとめる時間」に追われ、現場と対話する余裕を失っていく。数字を集めるコスト自体が現場の熱量を奪っている事実は見逃せません。
出典・参照:
グッドハートの法則が示す、測定指標の宿命
KPIの副作用を理解するうえで参照したいのが、経済学の古典的な知見である「グッドハートの法則」です。ここでは、この法則が示す測定指標の構造的な限界を整理し、DX現場への含意を考えます。
「指標が目標になった瞬間に、良い指標ではなくなる」
グッドハートの法則は、英国の経済学者チャールズ・グッドハートが提示した考え方として一般に知られています。要点は「ある指標が政策目標として使われ始めると、その指標は本来測ろうとしていた実態を正しく反映しなくなる」という趣旨です。もともとは金融政策の文脈で語られましたが、経営指標や人事評価にも当てはまる普遍的な現象として広く引用されています。
経済学から経営実務への応用
この法則を経営実務に置き換えると、次のような構造が見えてきます。ある数値を目標化した瞬間、現場は「目標を反映する行動」ではなく「目標の数字そのものを動かす行動」へと最適化を始めます。すると数字は目標を達成していても、目標が意図した本来の変化は起きない、という乖離が生じます。DXの成果測定にも、この乖離は入り込んでいます。
DX推進の現場でKPIが機能不全に陥る構造
グッドハートの法則をDX推進の現場に当てはめると、いくつかの典型的な失敗パターンが浮かび上がります。以下では、我々が編集部として観察してきた3つのパターンを紹介します。
ペーパーレス化率や導入システム数が独り歩きする
「ペーパーレス化率90%」「新規SaaS導入数10件」といった数字は、経営報告に載せやすい指標です。しかしこれらが目標化すると、業務上意味のあるペーパーレスなのか、現場が使いこなせるSaaSなのかという肝心な問いが見えにくくなってしまいます。数字は達成しても、業務プロセスは変わっていないという結果に至りがちです。
数値化しやすい成果だけが積み上がる
DXの本来の目的は業務モデルの変革や競争力の再構築にありますが、数値化しやすいのはむしろ手前の作業量です。結果として、経営会議に並ぶ資料は「作業のKPI」で埋まり、「変革のKPI」が薄くなります。KPIが手段化して目的を見失うリスクは、経済産業省とIPAのデジタルトランスフォーメーション調査2025でも改めて論点として挙げられています。
数値報告のための作業が現場を圧迫する
KPIの数を増やせば管理は精緻になりますが、報告作業も比例して増えます。現場は本業のかたわらでダッシュボード入力に追われ、改善提案や工夫を持ち込む余力を失っていく。数値管理を強化するほど、現場の創発が細っていくという構造的な副作用が生まれてしまうのです。
出典・参照:
なぜ「数値化しやすいものだけ」が評価対象になってしまうのか
数値偏重が起きる背景には、経営側の合理性と、現場感覚とのすれ違いがあります。ここでは、なぜ経営がつい「数値化しやすい指標」に寄っていくのかを構造的に見ていきましょう。
経営会議で説明できる指標を優先する構造
経営会議や取締役会では、成果を短時間で共有しなければなりません。その中にあって数値化された指標は、説明しやすく、比較しやすく、意思決定に乗せやすいという実務上の利点があります。この合理性そのものは否定するものではありません。ただ、説明しやすさを優先しすぎると、説明しづらい「変革の兆し」が資料から抜け落ちていきます。
定性評価は主観的で説明責任を果たしにくい
現場の工夫や小さな改善は、数値化に馴染みにくい性格を持ちます。「業務プロセスの筋が良くなった」「部門間の対話が増えた」といった変化は、数値には現れにくい成果です。定性評価は主観的だと批判されやすく、経営側が説明責任を果たしにくいと感じるため、評価対象から外れがちです。
短期成果を求める圧力が「測れないもの」を切り捨てる
DXは中長期の投資回収を前提とする取り組みですが、四半期ごとの成果報告を求められると、どうしても短期で数値化できる指標が優先されます。経済産業省のDX推進指標は2026年2月に改訂され、成熟度をレベル0から5まで再定義したうえで、自己診断ツールとしての位置づけを強化しました。数値報告を目的化せず、自社の現在地を測るための指標として、この指標を使い直す視点を持つようにしましょう。
出典・参照:
数値評価と定性評価を両立させる視点
ここまでの考察を踏まえると、KPIを廃止する必要はなく、数値の限界を認識したうえで補完する仕組みを組み込むという方向が見えてきます。以下では、その両立を設計するための3つの視点を提示します。
KPIを「測るための指標」から「行動を促す指標」へ
KPIの本来の役割は、行動を導くフィードバック信号を提供することです。ダッシュボードの飾りではなく、「この数字が動いたら次に何をすべきか」まで含めて設計すると、KPIは現場を動かす道具になるのです。逆に言えば、行動につながらないKPIは、報告のための飾りに過ぎなくなってしまいます。
定性評価は「物語」で残す
数値化しにくい成果は、無理に定量化しようとせず、「物語」として残していくことを考えることが求められます。「物語」として残すべき評価内容は、次のようなものが該当します。
- 事例レポート
- 現場インタビュー
- 変革の経緯を記した振り返り資料
こうした定性評価と定量指標と物語を両輪として活用することで、経営は「数字と実態」の両方を判断材料として持てるようになります。
OKRなど別の目標管理と組み合わせる
OKRは定性的な目標(Objective)と定量的な成果指標(Key Results)を組み合わせる目標管理の枠組みです。挑戦的な目標設定を許容する点で、日常運用のためのKPIと異なる思想を持っています。KPIをOKRやプロセス指標と組み合わせることで、「達成したかどうか」だけでなく「何を目指したか」まで評価できる余地が生まれるのです。
出典・参照:
自社のDX関連KPIを点検するための問い
考察をここまで進めてきたら、次に必要なのは自社のKPIを実際に点検してみることです。以下の問いは、KPIが数値化しやすいものだけに偏っていないかを見直すためのチェックリストとして使えます。
追っているKPIは、本来何を測りたかったのか
現在追っている指標を並べ、「この数字は本来、何のために設定したのか」を書き出してみます。目的が思い出せない、あるいは目的と数字がずれてきていると感じるKPIは、再設計の候補です。KPIの背景にある問いを言語化できないなら、その指標は形骸化している可能性が高いといえます。
数値化されていない成果は、どこで拾い上げているか
数値では表れない改善や現場の工夫は、どの場で、誰が拾い上げているかを確認します。もし拾い上げる仕組みがないのであれば、月次の対話の場や振り返りレポートなど、定性評価を組み込む工夫が必要になります。数字だけを見て判断する運用のままでは、現場の熱量は徐々に失われていきかねません。
KPI達成が目的化していないか
現場でKPI達成のために本来意図しない行動が生まれていないかを、率直に問いかけてみます。
- 数字を作るための報告作業
- 数字に含まれない業務の後回し
- 達成しやすい案件だけを選ぶ動き
このような兆候は、KPIが目的化しているサインです。こうした兆候を見つけたら、指標そのものより先に運用と評価の設計を見直す段階に来ていると考えられます。
以下は、KPIの点検に用いる観点を整理した一覧です。自社の指標を並べて、それぞれの観点であてはまるかどうかを確認してください。
| 点検項目 | 見直しの観点 |
|---|---|
| KPIの目的 | 数値の背景にある本来の目的を言語化できるか |
| 指標の粒度 | 現場が動くための解像度になっているか、細かすぎないか |
| レビュー頻度 | 数字を集めるコストが現場を圧迫していないか |
| 定性評価との併用 | 数値化されない成果を拾う仕組みがあるか |
| 評価・報酬との連動 | KPI達成が過度に個人評価と紐づいていないか |
点検の結果、複数の観点で「見直しが必要」と判断できたなら、それはKPIを再設計する時期に来ているサインです。すべてを一度に変える必要はなく、まず1つのKPIから見直しを始めれば十分です。
まとめ:KPIは「測れないもの」の価値を見失わないための補助線として使う
DX推進のKPIが社員のやる気を静かに削ってしまう理由は、KPIそのものにあるのではなく、数値化しやすいものだけを評価対象とする運用にあります。ここまでの考察を整理すると次のように集約できます。
- 指標が目標として使われ始めた瞬間、本来測りたかった実態からは乖離していく(グッドハートの法則)
- DXの成果には数値化しにくい変化が含まれるため、数値だけでは全体像を捉えられない
- 現場の工夫や定性的な成果を拾わなければ、社員は「評価されない努力」を減らしていく
- KPIは「行動を促す信号」として設計し直し、物語やOKRと組み合わせて運用する
KPIは経営を導く道具ですが、道具である以上、使い方次第で現場を動かす信号にも、現場を疲弊させるノルマにも変わります。
測れないものの価値を見失わないための補助線としてKPIを位置づけ直していく。そんな運用感覚を、貴社でも試してみてはいかがでしょうか。
執筆者
株式会社MU 代表取締役社長
山田 元樹
社名である「MU」の由来は、「Minority(少数)」+「United(団結)」という意味。企業のDX推進・支援を過去のエンジニア経験を活かし、エンジニア + 経営視点で行う。DX推進の観点も含め上場企業をはじめ多数実績を持つ。





