企業のDXも、人を変える前に環境を変えられているか
ここから話を街から企業DXへ戻します。街で見た設計思想は、そのままDXの現場に持ち込める視点です。設備の話が急に社内システムの話に接続する瞬間があり、そこにこそ本記事の焦点があります。
「使われないAI」「定着しない社内システム」の正体
中小企業の現場で聞く悩みは、驚くほど同じ形をしています。
- AIチャットを導入したのに社員が誰も開かない
- 勤怠システムを刷新したのに紙の申請が残っている
- 営業支援ツールを契約したのに入力されない
多くの場合、こうした声が聞こえるとその原因を「社員のITリテラシー」に求めがちですが、実態は逆のことが起きている場合があります。会社が作ったシステムが、「社員へ努力を求める設計」になっており、努力を回避する側の行動の方が現場では合理的に見えている状態です。
ルールを増やす前に、選ばれる導線があるか
このとき経営者と推進担当者が取りがちな行動は、ルールの追加です。「必ず入力すること」「使わない者は評価に反映する」といったルールという名の命令が積み重なるシーンは、多くの企業で見受けられるのではないでしょうか。
しかし街で見た通り、行動は禁止ではなく受け皿で変わります。旧システムより新システムの方が入力項目が少ない、迷わない、結果が早く返る。この状態を作らないまま命令だけを増やすと、現場は静かに離反し、DX投資は塩漬けになります。
「命令するDX」から「選ばれるDX」への転換
ここで問いを立て直します。あなたの会社では、社員を変えようとする前に、社員が自然に使いたくなる環境を設計できているでしょうか。
DXとは、人へ命令することでも、AIを導入することでもありません。DXが本来目指すべきところは、人が望ましい行動を自然に選んでしまう環境を設計する営みなのではないでしょうか。
街の犬用水飲み場や屋外喫煙所と、社内システムの初期画面の設計は、思想において地続きだと我々は考えています。
なぜ「選ばせすぎるDX」は定着しないのか
ここでは背景にある行動科学の考え方を、実務目線で押さえておきます。難しい理論の解説ではなく、実務の会議で使える言葉で解説していきます。
ナッジ理論と選択アーキテクチャの基本
ナッジ理論は、リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが提唱した概念で、選択を禁止したり金銭的インセンティブを大きく変えたりせずに、選択肢の提示方法を工夫することで望ましい行動を促す考え方です。
日本では環境省が2017年に日本版ナッジ・ユニット(BEST)を発足させ、2024年6月には「ナッジ戦略」を策定し、行政・政策への実装を進めました。街の設計にも共通する思想であり、そのまま企業のDX設計にも転用できます。
デフォルト効果が示す、初期値の力
選択アーキテクチャの代表例がデフォルト効果です。初期設定として提示された選択肢は、そのまま選ばれる確率が高くなる傾向を指します。社内システムで言えば、承認フローの初期選択、入力欄の初期値、レコメンドの並び順などが該当します。
「選ばせる」設計は自由に見えますが、実際には迷いを増やし、離脱を招きます。「自然に選ばれる初期値」を設計側が引き受けることで、行動は静かに、しかし確かに変わっていくのです。
出典・参照:
まとめ:人を変えようとする前に、環境を変える
本記事では、街で撮影した何気ない1枚の写真を手がかりに、DXの本質を編集部視点で読み解いてきました。要点を箇条書きで整理します。
- 犬用水飲み場・屋外喫煙所は「禁止より受け皿」を示す設計
- エレベーター・スロープは「努力を前提としない環境」を示す設計
- 駐輪場・バイク区画は「ルールより導線」を示す設計
- 企業DXも同じで、社員を変える前に、社員が自然と選んでしまう環境を設計するもの
- ナッジ理論・選択アーキテクチャ・デフォルト効果は、その実装レバーとして機能する
休日の朝、街をゆっくり歩くと、命令ではなく設計で人の行動を支えている風景に無数に出会います。同じ目で自社の業務やシステムを眺め直すと、DXは「機能追加」ではなく「行動設計」へと姿を変えていく。人を変えようとする前に、環境を変える。この1つの視点が、貴社のDXを静かに前へ進める助けとなれば幸いです。
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。