【広告のDX】電通からGoogleへ!広告業界シェアの移動とDXの拡大

【広告のDX】電通からGoogleへ!広告業界シェアの移動とDXの拡大

「世界最大の広告会社はどこか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「Google」と答えるでしょう。

Googleは売上規模でみても知名度でみても圧倒的な力を持っており、本記事執筆時の2024年1月においては、世界中誰もが納得する答えではないでしょうか。

しかし、1990年頃のバブル期を経験した日本人に聞けば、「広告会社といえば電通」と答える人も多いかもしれません。

電通は、日本のマスメディアを裏から支えた立役者であり、広告取扱高においては1973年より長らく世界一を誇っていた広告会社です。

ではなぜ、電通からGoogleへと世界No.1の座が移ったのでしょうか?

その要因はインターネット広告の拡大が要因です。その変遷は、データとITテクノロジーを融合させることにより、広告がDX(デジタルトランスフォーメーション/以下:DX)されてきた歴史でもあります。

そこでこの記事では、電通からGoogleへと移ってきた広告業界の世界シェアを追いながら、広告のDXについて考察していきたいと思います。

広告業界の方だけでなく、インターネット広告を利用する方も、ぜひお付き合いください。

1950年代の広告革命と電通の役割

1950年代の広告革命と電通の役割

1950年代初頭の日本では、広告メディアに大きな変革がおきました。

特に1953年のテレビ放送の開始は、広告の新たな時代の幕開けといえるでしょう。

NHKによるテレビ放送の開始に続いて民間放送も始まり、ラジオや新聞、雑誌からテレビへと広告の主戦場が移行しました。

この時代に大きな役割を果たしたのが、「電通」です。

電通は、テレビ放送の開始とともに、その新しい広告媒体を最大限に活用するための戦略を展開し、テレビ局開設の手続きからその収益モデルの確立までをトータルでサポートする企業へと生まれ変わりました。

この時代の電通は、テレビ広告の可能性をいち早く認識して、視聴者に訴求するための魅力的な広告をテレビで展開していくために、テレビ業界そのものを盛り上げる道を選んだのです。

その電通の戦略通り、テレビという新しい媒体は視覚的な魅力と音声による説得力を武器として、消費者層を引きつける重要な手段となりました。

また、電通は広告制作の手法や戦略においてもイノベーションを起こしてきました。

テレビという新しい媒体に適応するためには、クリエイティブなアイデアと技術的な知識が不可欠ですが、電通はその両方を駆使して広告市場をリードしたのです。

1950年代の電通は、日本の広告が洗練され、多様化していく過程において、極めて重要な役割を果たしたと言って良いでしょう。

この時代の電通の活動は、後の日本の広告業界の発展の基礎を築く重要なものでした。広告メディアの変革期における電通の役割は、日本の広告史における重要なマイルストーンと言えるでしょう。

日本の高度経済成長期の勢いとともに電通はそのシェアを着々と伸ばし、1973年には広告会社の年間取扱高で世界1位の座に登りつめました。

その後、バブル期で日本経済全体が絶頂期にいた1988年には、広告会社として世界初の売上高1兆円を突破。さらには海外の大手広告会社を買収したり資本提携したりして、その勢力を伸ばし続けました。ですが、その後は様々な要因から徐々に経営が悪化していったのです。

そして、2020年には2年連続で過去最大規模の赤字額を計上し、2021年6月29日には本社ビルの売却を検討していることが発表されるなど、世界中に大きな衝撃を与えました。

この電通の没落ともいえる状況の背景には、インターネットの急速な普及と、それに伴う広告のイノベーションがあります。

それが、広告のDX推進であり、インターネット広告の覇者「Google」の台頭なのです。

インターネット時代の幕開けとGoogleの誕生

インターネット時代の幕開けとGoogleの誕生

インターネットの歴史は1960年代にまで遡りますが、1990年代に入ると急速に普及していき、日常生活においても重要な役割を担うようになってきました。

この時代のインターネットは、情報の共有とアクセスのあり方を根本的に変えた存在であり、新たなテクノロジーとビジネスの可能性を開拓したと言って良いでしょう。

そうした時代の中、1995年にスタンフォード大学の学生ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人の出会いは、その後の世界の広告業界、ひいては世界のあり方そのものを変えるイノベーションを生み出すきっかけになりました。

ペイジとブリンは、スタンフォード大学院に在籍しながらインターネットの可能性を探求していました。

そして、1998年9月、ペイジとブリンはカリフォルニア州メンローパークのガレージでGoogleを創業したのです。後のビックテックとして、世界に名を轟かせる企業の誕生です。

Googleの画期的なアプローチ「検索エンジン」の成長

Googleの画期的なアプローチ「検索エンジン」の成長

Googleの創業当初からの成功は、その独自のアルゴリズムによってインターネット上の情報を効率的に整理し、ユーザーに提供する画期的なツールの開発にありました。

それが、現在は「Google Chrome」と呼ばれる「検索エンジン」であり、このシステムを市場に投入することで、Googleはインターネット業界のトップ企業へと駆け上がったのです。

Googleの創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、スタンフォード大学での研究中に、WEBページの重要性を評価するための新しい方法「PageRank」というアルゴリズムを開発しました。

このアルゴリズムは、リンクの数と質をもとにWEBページの重要性を評価し、検索結果のランキングを決定する仕組みです。

それまでの検索エンジンといえば、1994年に同じくスタンフォード大学のジェリー・ヤンとデビッド・ファイロが開発した「Yahoo!検索エンジン」が主流でした。

これは、「ディレクトリ型」と呼ばれる形式の検索エンジンでしたが、この仕組みには検索できる情報に制限がありました。

一方、ペイジとブリンが開発した「ロボット型」の検索エンジンは、WEB上のあらゆるページの情報をクローラーと呼ばれるプログラムが回遊する仕組みです。

Googleの検索エンジンは、ユーザーが入力したクエリ(質問)に関連する最も有用な情報を素早く見つけ出し、提示する能力に優れていました。

その結果、ユーザーは他の検索エンジンと比較して、より迅速かつ正確な情報にアクセスすることが可能になったのです。

高速検索と検索結果のランキング機能に優れたGoogleは、瞬く間に検索エンジンのトップに躍り出ることとなり、検索エンジン市場において支配的な地位を確立しました。

この成功は、Googleがその後のビジネスモデルである広告モデルの基盤を築く土台となり、インターネット広告市場における革新を牽引することに繋がっていったのです。

インターネット広告の先駆者としてのGoogle

インターネット広告の先駆者としてのGoogle

GoogleのGoogle AdWords(現Google広告)の導入は、インターネット広告の分野において画期的な変化をもたらしました。

これにより、伝統的なテレビや紙媒体とは異なる新しい形式の広告が生まれ、AmazonやFacebook(現Meta)など、他のビッグテック企業もこの分野に積極的に参入していくきっかけになりました。

Googleはキーワードベースの広告を導入し、ペイ・パー・クリック(PPC)モデルを採用しました。

PPCモデルは、広告がクリックされるごとに広告主が料金を支払う仕組みです。つまり、広告主は、実際のクリック数に基づいて費用を支払うため、広告の効果をより直接的に評価することができると同時に、「広告1つでいくら」という価格形態と比べ、圧倒的に高い費用対効果を得られるようになったのです。

さらに、検索エンジンの利用を通じてユーザーのWEB上の行動履歴を収集・解析することで、よりユーザーに対してパーソナライズされたターゲット広告の運用を可能としました。

これは、テレビなどに代表される「不特定多数のユーザー」に届ける形式の広告と比べて、はるかに効率的な運用効果を生み出す戦略です。

AmazonやFacebookなど他のビッグテック企業もこぞってインターネット広告市場に参入したことからも、その効果のほどが伺えます。

広告DXの未来

広告DXの未来

Googleは、検索エンジンと連動した広告モデルでデジタル広告の世界を刷新しました。

その結果、広告主はユーザーの検索行動に基づいて広告をターゲット化し、効率的なマーケティング戦略を展開することが可能になりました​​。

さらに現在では、AIと機械学習を駆使してさらなる広告のパーソナライゼーションを実現し、より精密なターゲット広告を提供できるようになってきています。

さらに、データ分析とAIの進歩によりデータ駆動型広告は拡大し、よりユーザーのニーズに合わせ個別化された広告コンテンツの提供が可能になるでしょう。

Googleの躍進の歴史をみると、電通がテレビ広告で成功した時との重要な類似点が見つかります。

まず、これからの時代の流れを素早く察知し、取り組みを始めたこと。さらに、その技術が世の中に浸透していく土台を自ら築き、その基盤のうえで「広告」を展開したことです。

1950年代には、国内のテレビ業界そのものを育てながら、テレビ広告の市場で圧倒的な地位を確立した電通は、インターネットの時代の覇者になることはできませんでした。

業界や市場そのものの基礎となることは、大手企業であっても簡単なことではありません。ましてや、中小企業がテレビやインターネットのようなレベルでのイノベーションを起こすことは難しいでしょう。

しかし、こうした時代の流れを的確にキャッチし、最適な広告戦略を策定することはできます。現在でいえば、インターネットでのパーソナライズドされた広告を検討しない手はありません。

一方で、今後は社会的・環境的課題への関心の高まりから、持続可能性や倫理的な広告が重視されるようになることは間違いありません。

加えて、個人情報保護意識の高まりによって、WEB上でのユーザーの行動利益をデータとして活用することは、大きな課題を内包しています。データプライバシーに関する世界各国の規制は、高まるばかりでしょう。

こうした問題に対して、Googleをはじめとする企業がどのように対応していくか。企業がしっかりと目を向けていくことは、広告業界のDXを正しく成長させていくことに繋がるはずです。

企業は社会的責任を果たすことで、ブランド価値を高めることができます。

ターゲットユーザーに対して適切に情報を届けるインターネット広告の利便性と、ユーザーの権利を守る個人情報保護。この一見相反する2つの側面をうまく融合させていくことが、広告のDXを進める未来への戦略上のポイントになっていくのではないでしょうか。

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この記事の執筆者

株式会社MU 代表取締役社長

山田 元樹

社名である「MU」の由来は、「Minority(少数)」+「United(団結)」という意味。企業のDX推進・支援をエンジニア + 経営視点で行う。 最近の趣味は音楽観賞と、ビジネスモデルの研究。 2021年1月より経営診断軍師システムをローンチ

株式会社MU 代表取締役社長

山田 元樹

社名である「MU」の由来は、「Minority(少数)」+「United(団結)」という意味。企業のDX推進・支援をエンジニア + 経営視点で行う。 最近の趣味は音楽観賞と、ビジネスモデルの研究。 2021年1月より経営診断軍師システムをローンチ

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