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あなたは、オリンピックなどの競泳の中継で、世界記録のペースを示す線が、水面の上を選手と並んで進んでいく場面を見たことがありませんか。あるいは、アメフトの中継で、攻撃が目指す地点に黄色い線が引かれている場面など。どちらも、会場にいる選手や観客の目には映っていませんが、中継画面を視聴する私たちの目にはしっかりと見えています。
映像にだけ重ねられた線や数字は、どうやって映し出されているのでしょうか。目に見えない基準を、データの力で画面に描き出しているという点では、これも「見える化」の1つです。
「見える化」とはDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進する現場でもよく耳にする言葉ですが、数ある情報の中から何を見せるかをどう決めるのかは、あまり語られません。スポーツ中継は、その決め方を考えるのにうってつけの題材です。
本記事では、アメフト、競泳、陸上の3つの例から、画面の線や数字がそれぞれ何を基準にしているのかを見ていきます。そのうえで、技術の仕組みよりも、数ある情報から何を基準に見せるものを選ぶのかという設計の側から、「見える化」の本当の仕事を考えます。
【本記事の要点】
- アメフトの黄色い線が示す基準は、ルールが定めた攻撃権を得るための到達点である
- 競泳の世界記録ラインや陸上の速度表示では、見せる対象が、ルールの境界から過去のペース、動きの特徴へと変わる
- 見える化の本当の仕事は、線を描く技術よりも、見えない基準のうち何を、誰に、どの強さで見せるかを決めることにある
黄色い線が示す基準は、アメフトのルールが定めた到達点
中継画面で見える黄色い線は、何を基準に引かれているのでしょうか。その答えは、アメフトのルールにあります。
アメフトでは、攻撃側が4回の攻撃で10ヤード進めば、新しい攻撃権を得られます。その到達点を示すのが、中継の黄色い線です。この線は、競技場の芝に引かれたものではなく、放送映像にだけデジタルの処理で重ねられて視聴者の目にのみ映るものです。
基準にしているのは、ルールが定めた「どこまで進めば攻撃権が続くか」という1点です。NFL(米国のプロアメリカンフットボールリーグ)の公式サイトは、この線を「公式ではない」仮想の線と説明しています。つまり、判定の基準そのものではなく、ルール上の到達点を視聴者に伝えるための、説明用の表示なのです。
ちなみに、この線が定着した結果、競技場を訪れた若いファンが、現地では線が見えないことを不思議に思うようになったと、ESPN(米国のスポーツ専門チャンネル)は振り返っています。画面の中の線が、観戦の当たり前になっていたことを示す話ではないでしょうか。
出典・参照:
動くカメラの映像で、線が芝に張り付いて見える仕組み
中継のカメラは、選手を追ってパンやズームを繰り返します。それでも黄色い線は、芝の上の同じ位置に張り付いたままです。しかも、選手が線の上を踏めば、足元では線が隠れ、選手が線の手前に立っているように見えます。
画面に重ねただけの線が、なぜこれほど自然に芝の一部のように見えるのでしょうか。その答えは、線を置く位置を決める仕組みと、置いてはいけない場所を避ける仕組みにありました。
黄色い線がESPNで初めて放送されたのは、1998年9月27日のことです。Sportvisionという会社が開発し、ESPNが共同で実装しました。黄色という色を提案したのは、当時のESPNの幹部プロデューサーだったと、ESPNは記しています。
IEEE Spectrum(電気・電子分野の学会IEEEが発行する技術誌)の2003年の記事によると、初期のシステムの仕組みは、次のようになります。
| 段階 | 初期のシステムでの内容 |
|---|---|
| カメラの動きの測定 | カメラのパン、チルト、ズーム、フォーカスをセンサーで測る |
| 競技場の形の把握 | 設置時に競技場の傾斜をレーザーで測り、中央が盛り上がった形を取り込む |
| 色の判別 | 芝の色の画素だけを黄色に置き換え、選手の上には線を描かない |
| 映像の遅延 | 放送映像を少し遅らせ、その間にコンピューターが線を描く位置を決める |
要するに、カメラがどこを向いているのかを測り、競技場の地図と突き合わせ、線を置く位置と、置いてはいけない位置を選んでいました。選手が線を踏んでも、足の上には線が出ないのは、この色の判別があるためです。
これは1998年前後の初期のシステムの説明であり、現在の各社の方式が同じとは限りません。大切なのは、仕組みの細部よりも、現実の競技空間にはない基準が、データ処理によって映像にだけ現れるという点です。
出典・参照:
水の上と競技場にも、見えない基準が引かれていた
この章では、同じような見えない基準が、ほかの競技にもあることを見ていきましょう。何を見せているのかに注目すると、見せる対象が少しずつ変わっていることが分かるはずです。
競泳の世界記録ライン:過去のペースを仮想の相手にする
競泳の中継では、世界記録を破るために必要な速さを示す線が、水面に現れます。Sports Illustrated(米国のスポーツ専門誌)によると、この線は2000年にオーストラリアの選考会の中継で初めて使われ、シドニー五輪では各国の放送局が用いました。
日本では、テレビ朝日が制作した2001年の世界水泳で導入し、国際水泳連盟(現在のWorld Aquatics)の標準化につながったと、同社の担当者が日刊スポーツの取材に説明しています。
アメフトの線が示すのが、ルール上の境界だったのに対し、競泳の線が示すのは、過去の記録のペースです。つまり、その場にいない過去の記録保持者が、仮想の競争相手として画面に現れ、視聴者の興奮を煽るのです。
出典・参照:
陸上の速度表示:動きの特徴を数字にする
陸上では、肉眼では読み取れない速度が、数字として画面に出ます。2019年のドーハ世界選手権では、Seiko、Hawk-Eye、Angular Velocity、Deltatreといった計測・映像技術の企業の技術を組み合わせ、短距離選手の最高速度とフィニッシュ時の速度などを表示すると、World Athletics(陸上競技の国際統括団体)が発表しました。
東京2020では、Intelの3D Athlete Trackingが、複数のカメラの映像から姿勢を推定し、100m、200m、4×100mリレー、ハードルのリプレーに重ねる映像を提供しました。
3つの例を並べると、見せる対象が変わっていく流れは、次のようになります。
| 競技 | 画面に重ねるもの | 見せる基準の種類 |
|---|---|---|
| アメフト | 攻撃が目指す到達点の線 | ルールの境界 |
| 競泳 | 世界記録のペースを示す線 | 過去の記録のペース |
| 陸上 | 最高速度や、姿勢の推定にもとづく映像 | 動きの特徴 |
3つは、同じ技術ではありません。共通しているのは、現場にはない基準を、データを使って映像に重ねていることです。
出典・参照:
「見える化」の本当の仕事は、何を見せるかを決めること
線を描く技術と、何を見せるかを決める仕事のうち、見える化の本当の仕事はどちらなのでしょうか。この章では、3つの例からそれを考えます。なお、ここでいう見える化とは、見えない基準を画面に出して、理解できる状態にすることです。
誰に、何を、どの強さで見せるか
競泳では、画面に出せるデータが、実際には数多く取れています。World Aquaticsが2023年に紹介したシステムでは、プールの周囲に置いた画像追跡カメラが、選手の位置、速度、加速や減速、選手間の距離、ストローク数をライブで取得し、放送と解説者向けの情報システムに送っています。
それでも、中継の画面に線として現れる代表は、世界記録のペースです。つまり、取れるデータをすべて見せているわけではありません。
たとえば、世界記録のペースを選べば、視聴者は「記録に届くか」を追って泳ぎを見るでしょう。あるいは、選手間の距離を選べば、見どころは「誰が前に出るか」に変わります。つまり、同じデータがあっても、どれを画面に出すかによって、視聴者に伝わる試合の姿が変わるのです。
アメフト中継での黄色い線も同じです。攻撃が目指す到達点が選ばれ、さらに黄色という色や、選手の上には線を描かない見せ方まで、人が決めています。陸上では、タイムだけではなく、最高速度やフィニッシュ時の速度が選ばれました。
測れるものの中から、視聴者がいま理解したい点を1つ選ぶ。可視化は、測定値をそのまま並べる作業ではなく、この選択の仕事といって良いでしょう。
選ばれた線は、見る人の目線も決めます。黄色い線があれば「あの地点を越えられるか」、世界記録ラインがあれば「見えない記録保持者に勝てるか」、速度表示があれば「どれだけ速く走ったのか」に、自然と注目が向かうのです。
ただし、見せる相手によっても、正しい画面は変わります。競技を知らない人には線が理解の入口になる一方、競技に詳しい人には、表示が多すぎると邪魔になることもあるでしょう。
出典・参照:
分かりやすさが隠すもの
画面の分かりやすさは、現実の中から1つの見方に絞り込んだ結果です。その分、戦術の駆け引きのような別の要素は、画面の外に置かれます。
見えるようにしたものがあれば、見えないままのものも生まれ、見せないものを何にするかも、設計の一部です。つまり、見える化は、現実をそのまま映すものではありません。見る人の注意をどこへ向けるかを決める、編集の仕事なのです。
World Athleticsは2004年に、テレビのグラフィックスの基本原則を掲げました。そのうち、記事の論点に関わる5点を挙げると、次のとおりです。
- 関連があること
- 役に立つこと
- 分かりやすいこと
- 正確であること
- 速いこと
あわせて、競技を補い、置き換えないことも示しています。表示を増やすこと自体は、価値ではないという考え方です。
もう1つ、見落としたくない点があります。画面の線は自然に見えるぶん、公式の判定そのものだと受け取られやすいことです。しかし、先ほど触れたとおり、黄色い線はNFLの中継では参考の線にすぎません。実際の判定は、画面の線とは別の仕組みで行われています。
NFLは2025年から、審判がボールの位置を示したあとに、Hawk-Eyeがボールと到達点の距離を仮想的に計測する方式を、主な計測方法にしました。従来の計測を担ってきたチェーンクルーは、補助として残っています。つまり、画面の線で「届いた」と見えても、判定の根拠になるのは、審判の示した位置とHawk-Eyeなどによる公式の計測であり、画面の線ではないのです。
画面が分かりやすいほど、見る人はその表示をそのまま信じやすくなります。だからこそ、その表示が参考なのか、公式なのかを、はっきり伝えなければなりません。見える化の仕事は、何を見せるかを選ぶだけでなく、見せたものがどこまで確かなものなのかを伝えるところまで含んでいるのです。
出典・参照:
まとめ:画面の線は、誰かが見せると決めたものだった
画面の線は、誰かが見せると決めたものでした。黄色い線は、ルールが定めた到達点を視聴者に伝えるために作られた説明用の表示です。競泳では過去のペースが、陸上では動きの特徴が、それぞれ見せる基準として選ばれ、重ねられていました。
デジタルは、現場にはない仮想の線を映像に引くことを可能にしました。しかし、本当に重要だったのは、線を引けることではなく、見えない基準のうち何を選んで見せるかだったといって良いでしょう。
同じ映像でも、どの基準を重ねるかで、視聴者が受け取る試合の印象は変わります。次に中継を見るときは、画面の線が何を見せようとしているのかを、一度立ち止まって考えてみてください。
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。



