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アップルウォッチなどに代表されるスマートウォッチが普及し、睡眠を数値で振り返ることは、いまや珍しくなくなりました。最近では、睡眠アプリのスコアを確認してから1日を始める人も少なくないでしょう。数字が良ければ安心し、悪ければそれだけで1日の気分が沈んでしまう。休むために使い始めたはずのアプリに、いつのまにか一喜一憂させられている、そんな感覚を覚える人もいるかもしれません。
睡眠アプリを活用した自己計測そのものは、決して無駄ではありません。ただ、良い数字を追うことに気を取られるうちに、本来の目的だったはずの「休む」ことが、いつのまにか後回しになっている人がいるのも事実です。そして、数字が目的にすり替わっていくこの現象は、企業がKPIを追いかける場面にも共通します。本記事では、2つの現場で何が起きているのかを、研究と1つの古い経済学の法則から考えてみます。
【本記事の要点】
- 瞑想アプリ等の効果は複数の比較試験で確認されている一方、睡眠トラッカーの定期使用者は、そうでない人より睡眠への不安が高いという調査もある
- これは、代理指標が目標そのものに変わった瞬間、良い指標でなくなるという、経済学で古くから知られる構造として理解できる
- 同じ構造は、企業のKPI設計にも潜んでいる。睡眠スコアの逆説は、DXが向き合う課題の縮図としても読める
- 瞑想アプリや自己トラッキングには実証された効果がある。悪いのは計測そのものではなく、スコアが目的にすり替わること
「良い数字」を目指すほど、眠れなくなる人たちがいる
記事冒頭で触れたスマートウォッチの普及は、見方を変えれば「腕時計」という道具の役割が、時刻を知らせることから心拍や睡眠を記録することへと大きく広がった動きでもあります。この腕時計自体のDXについては、以前の記事で詳しく取り上げました。
道具の進化によって睡眠をデータで把握しやすくなった一方で、「オルソソムニア」と呼ばれる現象が指摘されるようになっています。睡眠トラッカーが示す数値やスコアにこだわりすぎるあまり、かえって不眠につながってしまうという状態です。
2024年に学術誌『Brain Sciences』に掲載された成人523名を対象にした調査では、定義の厳しさによって幅はあるものの、人口の3〜14%程度がこの状態に該当しうるとされています。睡眠トラッカーを定期的に使用している人は、使用していない人より睡眠に関する不安が有意に高いという結果も報告されました。年齢による差も見られ、18〜35歳では23%が「アプリのせいで睡眠にストレスを感じる」と回答した一方、66歳以上ではその割合は2.4%にとどまっています。
想定されているメカニズムは次のようなものです。
良いスコアへのこだわりが不安を生む
↓
不安が入眠を妨げる
↓
結果としてスコアがさらに悪化する
この悪循環が、一部の人には起こりうるということです。ただし、これは相関を示す調査であり、トラッカーを使えば誰もが不眠になるという意味ではありません。
出典・参照:
これは、経済学が古くから指摘してきた構造と同じかもしれない
この現象は、個別の睡眠の話にとどまらず、もっと一般的な構造の一例として理解できます。
経済学者チャールズ・グッドハートは1975年、英国の金融政策に関する論文で、「ある指標が目標に転じた瞬間、その指標は良い指標でなくなる」という考え方を示しました。今日「グッドハートの法則」と呼ばれるものです。
1979年には社会学者ドナルド・キャンベルが、社会指標が意思決定に使われるほど、その指標は歪められ、本来監視するはずだった対象そのものを歪めてしまうと指摘しました。こちらは、「キャンベルの法則」と呼ばれています。
いずれも、「ある指標が目標そのものに変わった瞬間、その指標は指標として機能しなくなる」という同じ現象を指しています。そして、これは睡眠にもそのまま当てはまります。
睡眠の「質」は、本来は直接測ることが難しいものです。そこで睡眠時間や深睡眠の割合といった代理指標を、アプリがスコアという形で示してくれます。この代理指標が「今日の目標」そのものに置き換わってしまった瞬間、人は「よく眠ること」ではなく「良いスコアを出すこと」を追い始めてしまう。オルソソムニアで報告されている悪循環は、この構造の具体的な現れとして読み解けるのではないでしょうか。
出典・参照:
自己計測そのものが悪いわけではない
ここまで読むと、「計測なんてやめたほうがいい」と言いたくなるかもしれません。しかし、それは行きすぎです。
マインドフルネス瞑想アプリを検証した43件の無作為化比較試験のメタ分析では、不安や抑うつをやわらげる効果が確認されています。また、自己トラッキング全般を対象にした系統的レビューでも、体調や生活習慣の把握を通じて健康づくりを後押しするという知見が重ねて示されています。数字で自分を知ること自体には、はっきりとした価値があるということには一定の根拠があるようです。
つまり、計測が人を追い詰めるのは、計測そのものが悪いからではありません。よく眠るための道具だったスコアが、いつのまにか「良い数字を出すこと」という目的そのものに入れ替わる。そのとき初めて、計測は人を苦しめる原因になってしまうのです。前章で見た構造が、ここでも働いています。そして次章で見るように、まったく同じことが企業のKPIでも起きています。
出典・参照:
同じ構造が、企業のKPIにも起きている
グッドハートの法則とキャンベルの法則は、もともと金融政策や社会指標をめぐる議論から生まれたものですが、企業のKPI運用にも同じ構造が指摘されています。
- 顧客満足度
- 真の生産性
- 長期的な成長
多くの場合、こういった本来会社が目指したいものは直接には測れません。代わりに、問い合わせ対応件数や処理件数、通過率といった代理指標が設定されます。この代理指標が評価や賞与に結びついた瞬間、現場の意識は「顧客に満足してもらう」ことから「対応件数を稼ぐ」ことへ、少しずつ入れ替わっていくのです。
しかし、指標の数字自体は改善していくのに、本来目指していたはずの成果が伴っていないとしたら、それはグッドハートの法則が起きているサインかもしれません。つまり、睡眠スコアと企業のKPIは、扱う対象はまったく違いますが、「直接測りにくい目的の代わりに代理指標を置き、その代理指標を追いかけるうちに、目的そのものが指標へすり替わっていく」という同じ落とし穴に落ちてしまっているかもしれないのです。
DXが可視化やKPI設計を進めるときも、この構造そのものは避けられません。だからこそ、代理指標を設計するときに、「この数字が良くなることは、本当に目指していたものが良くなることと、今も同じ意味を持っているか」を、時々立ち止まって問い直す余地があるのではないでしょうか。
まとめ:測ることが目的になっていないか
瞑想アプリや自己トラッキングには、心身の状態を整えるうえで意味のある効果が確認されています。問題が起きるのは、代理指標だったはずのスコアが目標そのものに入れ替わったときです。
指標が目標に変わると良い指標でなくなる。この現象はグッドハートの法則・キャンベルの法則として古くから知られ、企業のKPI設計でもまったく同じように起こります。だからといって、睡眠スコアも、企業のKPIも、それ自体が悪者なのではありません。それでも時折、数字は改善しているのに、本来の目的が置き去りになっていないか。そんな落とし穴に落ちてはいないだろうかと、睡眠でも仕事でも、時々立ち止まって問い直す価値がありそうです。
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。



