【DX人物列伝①オードリータン】DXの申し子オードリーはどんな人物なのか? - DXportal

【DX人物列伝①オードリータン】DXの申し子オードリーはどんな人物なのか?

【DX人物列伝①オードリータン】DXの申し子オードリーはどんな人物なのか?

台湾の政治家にして天才プログラマー、オードリー・タン(唐 鳳、Audrey Tang/以下:オードリー)

DX(デジタルトランスフォーメーション/行か:DX)を語る上では、必ず話題になるほど日本でも有名な人物です。

今回が初回となる、DXにまつわる世界中の偉人たちを紹介する新企画、【DX人物列伝】の第1回目に取り上げる人物として、オードリーほどふさわしい人物はいないでしょう。

本DXportal®でも、オードリーに関しては過去2回に亘って、DXを語る上でのキーマンとして紹介した事がありますが、今回は幼少期から今に至る経歴を辿りつつ、DXの申し子オードリー・タンの人となりに迫ってみたいと思います。

オードリー・タンの略歴

1981年4月18日、台湾の台北市で両親共にジャーナリストの家庭に生まれたオードリー・タン。

幼き頃からコンピューターに興味を持ち、なんと8歳にして独学でプログラミング、12歳の時にはプログラミング言語Perlを学び始めました

その後、中学校に通っていた14歳の時にインターネットと出会い、物理的な距離を超えて世界中の人々との交流を重ねる中で、周りと同じようにこのまま高校に進学する事に疑問を感じ始めたといいます。

その後、学校生活に馴染めなかった事もあり、両親と当時の校長との話し合いの末、最終的には中学校を中退することを決意しました。

学生時代より、インターネットを使ったビジネスの世界へと進出していたオードリーは、中学校在学中の15歳でIT企業「資訊人文化事業公司」を設立。同社が開発したソフトウェア「搜尋快手(FusionSearch)」は、わずか3~4年の間に全世界で約800万セットを販売しました。

更に、その後アメリカに渡り、19歳の時にシリコンバレーでソフトウェア会社を起業しました。そして、24歳の時には、プログラミング言語Perl6開発への貢献によって、世界中からの注目を集めます。

また、同じ24歳の時には自らがトランスジェンダーであることを公表し、名前も女性名へ変更しました(入閣時の性別欄は「無」と記入)。

その後、33歳で米Appleのデジタル顧問に就任し、Siriなどの人工知能開発プロジェクトに加わりましたが、それからまもなくビジネスの世界からの引退を宣言。一説によると米Appleの退社時の時給は、1ビットコイン(当時日本円で約6万6千円)だったと言われています。

この報酬額は、当時としても破格だったと言われていましたが、その後の高騰が期待されていたビットコインでの支払いを行っていた事は、オードリーに対するApple社の評価の高さを示すエピソードとして語り継がれています。

ビジネス界からの引退後は台湾に戻り、「ひまわり学生運動」などを経て政治の世界へと進出。35歳の時には台湾で最年少かつ世界初のトランスジェンダー閣僚(デジタル担当大臣)に就任しました。

世界的な新型コロナウイルス蔓延にあたっては、民間のハッカー達と組んでマスクマップを開発し、台湾のコロナ対策を水際で防止するなど、世界的にその名を轟かせました。

その影響もあり、37歳の時には米外交政策専門誌『フォーリンポリシー』で「世界の頭脳100人」に選出されています。

また、東京都のコロナウイルス対策サイトの修正作業に参加した縁もあり、日本人にとっても馴染みの深い人物です。

学校では「はみ出し者」のオードリー

学校では「はみ出し者」のオードリー

幼き頃から優秀であったオードリーですが、生まれながらにして重大な心臓の疾患を抱えていました。

激しい運動どころか大笑いをしただけで心拍が上がり、卒倒してしまうほどだったと言われています。

幼稚園に上がってからも、身体が丈夫でないため動作が鈍く、他の子のように飛んだり跳ねたりができませんでした。

オードリー自身の興味も、天才が故なのか、他の子とは全く違う事に向いていたため、周囲からは「変わっている子」として認識されるようになってしまいます。

その影響もあり、周囲の子達と馴染めずに3つの幼稚園、6つの小学校を転校するという幼年期・少年期を過ごしました。

心臓の疾患は、12歳で手術を受けて、14歳の頃には完治しましたが、前述の通り、学校に馴染めず、また学校に通う意味を見いだせずにいました。

オードリーが中学3年生の時、母親に「閉じこもれる場所に行きたい」と告げたことをきっかけに、家族は中学の校長に長期休暇を願い出ました。

当時の台湾では、義務教育の中学に通わなければ罰金を課せられるという状況でしたが、校長は『今が彼(当時は性別変更前)にとって大切な時期だ』と判断して、特例的に長期休暇を認めたといいます。

休学中にIT企業を起業したオードリーは、ソフトウェア「搜尋快手(FusionSearch)」を開発して全世界に販売するなど、インターネットを通じたビジネスの世界へと身を投じる事になりました。

そして、その頃からアメリカの有名大学教授達との交流を深めていきます。

すでにビジネスの世界で活躍をし始めていたオードリーは、周りと同じように高校に進学することに意味を見出せずにいました。

そのため、台湾で最も難易度の高い高校へ無受験で進学できる特権を得ていたにもかかわらず、高校には進学せずに、そのままビジネスの世界へと進む事を決意したといいます。

オードリーの決断に対して、校長は彼女の将来のことを考え、「あなたが憧れるアメリカの有名大学の教授と一緒に仕事をするには、良い大学に入らなければいけません。そのためには良い高校に行く必要がある。あと10年は学校で勉強すべきでしょう。」と諭したそうです。

ですが、オードリーがその時点ですでに交流があったアメリカの大学教授とのメールを見せて、「教授達とは既に一緒に仕事をしています。それでも高校に行く意味は何でしょう?」と問いかけると、熟慮の末に彼女のこの決断を尊重し、「学校に来なくてよい」と許可を与えました。

前述の通り、当時の台湾では中学に通うことは義務であり、従わなければ罰金が科されていました。

また、台湾社会でも学歴は非常に重要視されており、有名高校から有名大学へと進学していくことが最も安定的なキャリア形成のステップと考えられています。

しかし、この校長はオードリーに学校教育の仕組みや社会の常識を押し付けることは決してせずに、彼女の意見に耳を傾けて、決断を尊重してくれたのです。

それどころか、オードリーが長期休暇を取っている間に学校に監査が入った際も、彼女が登校していることにして対応するなど、自分自身の立場を顧みずに彼女を応援してくれていました。

そんな校長との出会いはオードリーの人生にも大きく影響を与え、『人は話し合える』という彼女の信念の原体験ともなったと言われています。

そのことは、「私は官僚制のフレキシブルさをいつも強く信じています。」という言葉からも伺えます。

「対話を通じて世界を変えていこう」とする彼女が、政治の世界へ進む原動力となったエピソードであるのは間違いないでしょう。

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DXportal®編集部

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