デジタルを使わない自由:人を基準に制度を設計する思想
紙を残した制度の奥にあるのは、「デジタルを使うかどうかは、本人が選ぶ」という思想です。この章では、その哲学が日本のDXにどう接続するかを掘り下げます。
「使えない人」ではなく「使わない選択肢」まで設計する
日本のDX議論では、「デジタルデバイド(情報格差)を埋めるため、高齢者にもITを教える」という発想が主流です。しかしデンマークの制度設計は一歩踏み込んでおり、「教えても使いたくない人がいる」「使わないという選択も尊重する」という前提に立っています。
この違いは小さいようで大きな溝を生みます。前者は「使えるようになるまで支援する」というアプローチで、後者は「使わない自由を制度で保障する」という発想です。人を中心に据えると、後者の設計になルノではないでしょうか。
企業DXにおいても、「全員が同じツールを使うこと」を目標にする前に、「使わない働き方も許容できる制度設計になっているか」を問う余地があります。
参加型デザインが根付いている
デンマークではサービスを設計する段階から市民や現場職員を巻き込む「参加型デザイン(participatory design)」の伝統があります。これは1970年代の労働組合運動を源流とする実践で、「使う人が設計に加わるべき」という思想が根付いているものです。
行政システムを作る際にも、高齢者や障害者を含む利用者を招いてプロトタイプを試し、フィードバックを反映しながら改善します。中小企業のDXにも当てはまる話で、経営者やIT担当者だけで仕様を決めるのではなく、現場担当者を巻き込んで設計する体制が問われます。
出典・参照:
対面支援を担うBorgerserviceと図書館
デジタルに慣れない市民のために、デンマークでは市役所内のBorgerservice(市民サービス窓口)と地域の図書館が対面支援の拠点となっています。特に図書館は、無料のIT相談やMitIDの登録支援を提供する場として機能しています。
企業の社内DXに置き換えると、「使いこなせない社員」の相談窓口をヘルプデスクに一本化するのではなく、身近な部署に「デジタル世話役」を配置するアプローチが参考になるでしょう。技術サポートは中央で、現場の使い方相談は身近な人へ。この分業が離脱者を減らすのです。
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効率化だけを追ったDXが失敗する理由
「効率化のためにデジタルへ切り替えたのに、かえって現場が混乱した」という状況は、行政・企業を問わず世界中で観察されています。この章では、効率だけを追求したDXがなぜつまずくのかを、海外事例を交えて整理します。
シンガポールSimplyGoの教訓
2024年、シンガポールの陸上交通庁LTAは交通ICカードを新方式のSimplyGoに一本化する方針を発表しましたが、改札で残高がすぐ確認できない仕様への反発から、わずか数日で方針転換を余儀なくされました。
問題は技術ではなく「利用者の安心感」を無視した設計にありました。「残高がその場で見える」という体験が、通勤者にとって欠かせない安心の源だったのです。効率化を追いすぎると、この種の情緒的な便益を見落とします。
韓国のキオスク化と高齢者の孤立
韓国では飲食店や店舗のキオスク(無人注文機)化が急速に進んだ結果、操作に慣れない高齢者が注文をあきらめて店を出る現象が社会問題化しました。世界屈指のデジタル決済比率を誇る韓国でも、人を置き去りにした効率化が「経済的排除」を生み出してしまったという結果は印象的です。
これは日本のDXにも直結する話です。中小企業でセルフレジや電子受付を導入する際、「機械が苦手な顧客が離脱する」というリスクを織り込んでいるでしょうか。効率化の裏側にある機会損失は、数値に現れにくく、経営者が見落としがちなポイントです。
「デジタル強制」が信頼を壊す
デンマークですら、社会保障詐欺検知アルゴリズムが個人データを過度に統合しているとして、人権団体から批判を受けた事例があります。効率化の名のもとにデータを結合しすぎて、市民の信頼を損なってしまった経験といえるでしょう。
企業でも同じ構図は起こり得ます。営業支援ツールで訪問記録を細かく収集しすぎると、社員は「監視されている」と感じ、逆に入力の質が下がってしまう。効率と信頼のバランスは、経営判断そのものです。DXツールを導入する際、「監視ではなく支援である」という設計思想を明示できているかが問われます。
日本の中小企業が学ぶべき「人に優しいDX」の設計原則
ここからが本題です。デンマークの思想を、日本の中小企業の現場にどう落とし込むかを具体的に示します。
日本企業でありがちなDXとデンマーク型の対比
まずは両者の違いを表で見てみましょう。表の前後にある思考の違いに注目してください。
| 日本企業でよく見られるDX | デンマーク型DX |
|---|---|
| 紙を全廃する | 必要な人には紙を残す |
| 電子化して終わり | 使えるよう継続支援する |
| 効率重視の一斉切替 | 利用者中心の段階移行 |
| 全員に同じ運用を強いる | 状況に応じた選択肢を用意 |
| ツール導入がゴール | 現場が使い続けることがゴール |
この表が示すのは、優先順位の違いです。デンマーク型は「効率」と「包摂」が対立したとき、包摂を優先する制度設計になっています。中小企業でも、DXを「効率化プロジェクト」ではなく「働き続けられる仕組みづくり」と再定義するだけで、判断軸が変わります。
「デフォルト+例外運用」で設計する
見逃せないのは、「デジタルをデフォルトにしつつ、紙運用を例外として計画に組み込む」という発想です。これは「紙を残す」とは意味が違います。「紙を許容する例外条件と、それを申請する仕組み」を最初から設計しておくということです。
例えば、経費精算システムを電子化する際に、「入社1年目の社員」「特定業務の管理職」「取引先の紙運用に合わせる必要のある担当」など、例外運用の対象を明文化しておきます。こうすることで、現場の抵抗が「制度からの逸脱」ではなく「想定内の運用」として吸収されます。
総務省の情報通信白書でも、日本企業のデジタル化は米国・ドイツと比べ導入率・活用度の両面で遅れが指摘されており、無理な一斉切替がむしろ活用度を落とす要因になり得ます。
出典・参照:
高齢従業員・現場スタッフを置き去りにしない移行計画
中小企業の現場には、ITに苦手意識を持つ社員が一定数存在します。DXが「若手だけの取り組み」になると、ベテランの知見が引き継がれず、逆に業務品質が下がるおそれがあります。デンマーク型を応用すると、以下のような施策が考えられます。
- 現場に「デジタル世話役」を配置し、日常的な質問を受ける
- 苦手な社員には代行入力・代理申請の仕組みを認める
- 導入前に現場からフィードバックを募り、設計に反映する
- 一斉切替ではなく、部門ごとの段階移行スケジュールを組む
- 移行後も「紙で運用したい業務」の申請ルートを残す
これらは特別な投資を必要としません。運用ルールと社内文化の設計だけで実現できます。属人化の是正と包摂を両立させるうえで、有効なアプローチです。
まとめ:DXとは選択肢を増やすことである
本記事で述べてきた内容を整理します。
- デンマークは国連EGDI2024で世界1位のDX国家である
- しかし紙・対面・電話・代理申請といったアナログ手段を制度として残している
- 背景には「デジタルを使わない自由」を認めるデジタル・インクルージョン原則がある
- 効率だけを追ったDXは、シンガポール・韓国の事例が示す通り、利用者の離脱と信頼低下を招く
- 日本の中小企業も「デフォルト+例外運用+支援体制」の三点セットでDXを設計すべきである
DXとは、紙を廃止する競争ではありません。デジタルを強制する取り組みでもありません。人が自分に合った方法を選べる状態をつくり、そのためにデジタル基盤を整えることです。デンマークが紙を残した理由は、この一点に尽きます。
貴社でも、まずは自社のDX施策を1つ選び、「使えない人が発生したときの逃げ道」が設計されているかを確認するところから始めてみてください。導入率でも紙削減量でもなく、「置き去りにされた人がいないか」を見る視点こそが、貴社のDXを持続可能なものへ変える起点になるのです。
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。

