フィールズ賞受賞者の声明を、「AI反対」ではなく数学者という未来を守る声明として読む【編集部考察】

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2026年9月、数学者のTerence Tao氏や森重文氏らフィールズ賞受賞者25人が、AIと数学をめぐる共同声明を公開しました。「AI反対」と報じられることの多いこの声明を読むうちに、私はAI活用全般に通じる問いを考えるようになりました。

AIに任せることで、私たちは何を手放しているのか。この記事では、声明をどう読んだかを書いたうえで、競技プログラミングや医療の事例も踏まえ、AIに何を任せ、何を人に残すかを考える視点を整理します。

【本記事の要点】

  • 2026年9月のフィールズ賞受賞者25人の声明は、AIそのものへの反対ではない
  • 声明が守ろうとしているのは、答えを出す速さではなく、数学者という「未来」だと私は受け取っている
  • 競技プログラミングや医療にも同じ構造があり、AI活用では「人を育てる機能」の設計が要る

AI企業の「難問競争」に、フィールズ賞受賞者25人が声明を出した

研究と理解、難問の解答、次世代への教育を結び、数学の研究成果と知の継承を同時に考える関係を示した図

2026年9月11日、数学者のTerence Tao氏、森重文氏らフィールズ賞受賞者25人が、共同声明「A Severe Misalignment of AI in Mathematics」を公開しました。Tao氏本人も同日、自身のブログで、直前1週間の受賞者間の議論から生まれた声明であり、事態の緊急性から広範な協議を待たずに公開したと説明しています。

この声明は、AIそのものや数学研究の高速化を全面否定するものではありません。声明の主張は、次の2点に整理できます。

  • 認めていること:AIが数学の研究と理解を進め、加速させる可能性がある
  • 指摘していること:AI企業が著名な未解決問題の「解答」をモデル性能のベンチマークとして競い合うことと、数学界が大切にしてきた「概念的な理解」「方法の継承」「次世代への教育」との間に、深刻なずれが生じている

日本では「AI企業の難問競争は数学を損なう」という見出しで報じられ、森重文氏の名前とともに広まりました。ですが、見出しだけを見ると「著名な数学者たちがAIに反対している」という単純な図式に受け取られがちです。私は、この声明にはもう少し違う読み方があると考えています。

出典・参照:

森重文氏の理論と、声明から受け取ったメッセージ

美しい数式の世界から、数学者という未来へ知を受け渡す道筋を、書架、書物、橋で示した図

絶版になってしまいましたが、森重文先生の著書を私も一冊持っています。

森先生が完成させた「森極小モデル理論」は、私が読んだ限りでは、代数幾何学において2つの代数多様体が「次元の低い部分を除いて、本質的に同じ形(同型)とみなせるかどうか」を問う理論だと理解しています。

もちろん専門家ではない私に正解が分かっているわけではありませんが、その書によれば、3次元の代数多様体を対象にこの理論を完成させたのが森先生であり、どうやら頭の中では11次元までの次元を捉えているらしい、というくらいの理解です。たとえば円と直線が、ある見方をすれば同じものとして扱えるというような話です。

そのうえで、今回の声明について私が受け取ったメッセージは、報じられ方とは少し違います。森先生たちが言いたかったのは、AIや量子コンピューティングが善か悪かというような話ではないのだと思うのです。数学の世界にも「未来」があって、その未来とは数学者そのものであり、それを壊さないようにしたいという、研究者としての想いなのではないか。私はそう受け取りました。

「森先生はAI反対派なんだな」というよりは、美しい数式の世界という文化を、計算機であるはずのAIが消し去ってしまうことに対する拒否感なのではないか。これが、私がこの声明から読み取った核心です。もちろんこれは私個人の解釈であり、署名した25人全員が同じ感情を抱いているとまでは言い切れません。ただ、声明の文面がAIの効用を否定していないことを踏まえると、この読み方は無理のないものだと考えています。

編集部の考え方:数学の「答えに至る過程」のロマン

人が入口の企画意図と出口の最終編集を担い、その間の工程をAIが支援する編集の流れを示した図

ここで、このニュースを受けて、DXportal®の編集長が語った話を紹介します。

彼は、「数学は、難問を解くに至るまでの道のりそのものに、ロマンがある」という考え方を示す文献を読んだことがあるそうで、数学は専門ではないものの、この考え方をとても素敵だと感じていると語りました。

フェルマーの定理のような有名な定理は、長い年月をかけて、何人もの人間の手を経て解かれてきました。編集長は、その過程そのものにロマンがあると感じていたそうです。

AIに答えだけを出させてしまうと、そこに至る過程にあるロマンをすべて飛ばしてしまうことになります。そうなると、数学が「答えありきの数学」になってしまうのではないか、と編集長は懸念を口にしています。

これは、私たちが運営する編集部自体の話にもつながっています。当編集部では執筆工程の大部分をAIで自動化・効率化しています。しかし、「この記事で何を伝えたいか」という入口(企画意図)と、「この記事が本当に読者へ届くか」という出口(最終編集)は、人間が手放すつもりはありません。

AIは便利ですが、使い方を誤ると、AIが出した結果をそのまま鵜呑みにして信じ切ってしまう時代になりかねません。AIが賢くなっていく分、人間の側もそれとは別種の賢さを持たなければならないのではないでしょうか。それくらい、AIの使い方は重要なのです。

同じ構造は他の専門分野にもある:AIに任せる範囲と人に残す範囲

数学、競技プログラミング、医療で、AIが出す成果と、人を育てる機能を別々に考える必要があることを示した図

フィールズ賞声明が指摘する構造は、数学の世界だけの話ではありません。「AIが測定しやすい成果を高速に出せるようになったとき、それまで結果へ至る過程が同時に持っていた育成機能が見えにくくなる」という同じ形の問題が、他の専門分野でも起きています。

競技プログラミングが引いた、AIに任せてよい範囲の線

Google DeepMindは2022年、AIシステム「AlphaCode」がCodeforcesの過去大会に模擬参加し、参加者の上位54.3%相当の成績を得たと発表しました。さらに、2023年に発表された後継の「AlphaCode 2」の技術報告では、同様の評価で85パーセンタイル相当と推定されています。

一方、Codeforcesの創設者Mike Mirzayanov氏は2024年9月、大会中のAI利用を制限する公式ルールを定めました。翻訳や軽微なコード補完は許容する一方、問題文をAIへ入力して完成したコードや解法の説明を得ること、問題理解やアルゴリズムの核心、エラー修正をAIに代替させることを禁じています。

公式に示されている理由は、個人の努力を迂回させず、公正な競争を維持することです。なお、大会外の練習や学習でAIを使うことまでは禁止しておらず、AIの全面禁止ではありません。

ここで線引きされているのは、「AIに問題を丸ごと解かせること」と「AIを翻訳や補完として使うこと」の違いです。Codeforcesが公式に挙げた理由は、競技の公正性です。この記事の観点では、もう1つ見えてくることがあります。

問題を読み解き、アルゴリズムを考え、試行錯誤しながらデバッグする。この一連の推論過程は、初学者にとって、基礎を反復して自力で組み立てる訓練の機会でもあります。この過程をAIに明け渡すと、競技の公正性が損なわれるだけでなく、その訓練の機会も失われかねないでしょう。

出典・参照:

医療AIの高精度と、医師の判断力の維持は別の問題

Google Researchが2024年に発表した対話診断AI「AMIE」は、標準模擬患者を使った比較試験で、専門医による評価の多くの項目でプライマリケア医を上回る結果を示しました。ただしGoogle自身も、医師が普段使わないテキストチャットに限定された条件であり、実際の診療を代表するものではないと明記しています。

これと並行して、2025年12月のAMA Journal of Ethicsの論考は、AIによって診断精度が向上する証拠が増える一方で、次の3つの懸念があると整理しています。

  • deskilling:医師がすでに持っていた技能を失う
  • mis-skilling:AIの誤りや偏りに、そのまま追随してしまう
  • never-skilling:基礎技能をそもそも獲得しない

2026年6月に米国医師会が採択した方針も、AIはあくまで支援手段であり、自律的な意思決定者ではないとしています。そのうえで、医師の判断と監督を置き換えないことを求めています。

医療は患者の安全や法的な責任が直結する高リスク領域であり、この基準をそのまま一般企業に当てはめることはできません。ただ、「AIの答えが正しいかどうかを確認できる能力を、どう維持するか」という論点だけは、業種を問わず参考にできるでしょう。

出典・参照:

AIに何を任せ、何を人に残すか

ここまでの数学、競技プログラミング、医療の3つに共通しているのは、AIが「正解」「順位」「診断精度」のように測定しやすい成果を出せるようになったとき、それまでその過程が同時に担っていた「人を育てる機能」が見えにくくなる、という構造です。

前半で紹介した当編集部の考え方も、この延長にあります。DXportal®は執筆工程の大部分をAIに任せていますが、入口の企画意図と出口の最終編集は、編集長が手放していません。任せる範囲を決めたうえで、人が判断する場所を意図的に残している点は、数学、競技プログラミング、医療の議論と同じ形です。

これは中小企業のAI活用にも、そのまま当てはまる話だと私は考えています。若手に任せていた議事録、下書き、簡単な調査、見積もり補助といった仕事は、完成品だけを見ればAIに移しやすいものです。しかし、それらは同時に、顧客の事情、社内の基準、例外への対応、失敗から学ぶ経験を積む訓練の場でもありました。

作業をAIへ移すときには、コストや時間の削減だけでなく、そこに埋め込まれていた育成の機能を、どこか別の場所へ意図的に移し替える必要があるのです。

だからといって、すべての作業を昔のまま残す必要はありません。単純な転記作業や、負担の大きい定型業務をAIに任せることには意味があります。残すべきなのは、作業そのものではなく、次のような経験です。

  • AIの答えを自分の言葉で説明できること
  • 根拠や前提、欠けている情報を確認できること
  • AI案と自分の案を比べて、採用しなかった理由を言葉にできること
  • 顧客や現場からの反論を受けて、考えを修正できること

AIを使いながらも、こうした経験をどう残すかを、経営者が意図的に設計する必要があるのではないでしょうか。

まとめ:速さで省いた過程が、何を育てていたか

フィールズ賞受賞者25人の声明を「AI反対」の声明として読むと、話はそこで終わってしまいます。しかし、森先生の著書を持つ私にとって、この声明が本当に守ろうとしているのは、答えを出す速さではなく、数学者という「未来」、つまり次の世代へ知を受け渡していく過程そのものだと感じるのです。編集部が大切にしている「答えに至る過程のロマン」も、競技プログラミングや医療の現場で起きている同じ構造も、根っこは同じところにあります。

AIが答えを最速で出せるようになったこと自体は、問題ではありません。むしろ、人類にとって輝かしい前進だと私は思います。これまで時間がかかっていた問いに、短時間で答えが得られる意義は大きいはずです。

ただ、その前進を本当の成果にできるかどうかは、別の問いにかかっています。問われるのは、その答えに至る過程に「人を育てる機能」が埋め込まれていたことに気づかないまま、機能ごと手放してしまうかどうかです。

この問題が厄介なのは、失うものが目に見えにくいからです。作業をAIに移した効果は、時間や手間の削減として、すぐに実感できます。一方、人が育つ機会を失った影響は、すぐには表れません。数年たって、AIの答えを疑い、根拠を確かめ、最終判断を引き受けられる人がいないと気づいたときには、原因が過去の効率化にあったことさえ見えなくなっているのではないでしょうか。

しかも、AIを使いこなすには、AIの答えの良し悪しを判断できる人が必要です。その判断力は、答えに至る過程を自分の手で繰り返した経験から育ちます。AIに任せる範囲を広げるほど、判断できる人の価値は上がるのに、その人を育てる場は減っていく。ここに、AI活用が抱える逆説があると私は考えています。

そこで、自社の仕事を見直すときには、「成果物を作る」ことと「人を育てる」ことの2つの働きを、分けて見てみることをお勧めします。AIに移そうとしている作業は、成果物を作る側だけの仕事なのか。それとも、誰かの判断力を育てる時間でもあったのか。後者であれば、作業は任せても、育てる場は別の形で残す。その設計こそが、AIに何を任せ、何を人に残すかを決めるということです。

森先生が声明に名を連ねた背景には、AIが出す答えの価値を認めたうえで、それでも次の世代が自分の頭で考える場を失ってほしくないという願いがあったのではないかと私は考えます。

数学の未来を担うのは数学者であるように、どんな仕事の未来を担うのも、その仕事に携わる人です。AIの進歩を喜びながら、人が育つ時間を守る。その両立を考えることが、この声明から私たちが受け取れる、いちばん身近な問いなのではないでしょうか。

山田 元樹

執筆者

株式会社MU 代表取締役社長

山田 元樹

社名である「MU」の由来は、「Minority(少数)」+「United(団結)」という意味。企業のDX推進・支援を過去のエンジニア経験を活かし、エンジニア + 経営視点で行う。DX推進の観点も含め上場企業をはじめ多数実績を持つ。