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友人に見せようとした写真が見つからない。
少し前に作った料理を撮っておいたはずなのに、スマートフォンの写真フォルダをどれだけスクロールしても出てこない。
こんな経験、あなたにはないでしょうか?
大容量ストレージとクラウド同期のおかげで、私たちは撮った写真を以前よりずっと多く持ち歩けるようになりました。それなのに、いざという時に1枚を取り出せない。記録は増えているのに、必要な思い出には手が届かないのです。今回は、この逆説について考えてみたいと思います。
【本記事の要点】
- 「撮ると記憶が悪くなる」という説は、研究を細かく見ると単純な法則ではない
- 撮り方や注意の向け方によって、記憶に残るものは変わる
- 記録と記憶は優劣ではなく、それぞれ違う壊れ方と役割を持ち、残し方も違う(記録は預け方、記憶は向き合い方)
写真が増えるほど、必要な1枚を取り出しにくくなる理由
写真は増えるほど、必要な1枚を取り出すことが難しくなります。この章では、その理由と、スマートフォンが用意している対策を順に見ていきます。
撮るコストが下がり、写真が埋もれていく
フィルムカメラの時代、1本のフィルムで撮れる枚数には物理的な上限があり、1枚ごとに現像の手間と費用がかかりました。しかし、今、その光景は一変しました。
わざわざカメラを持ち歩かなくても、気になった時にいつでも手元にあるスマートフォンで、高精細な写真を誰でも気軽に撮ることができます。それだけでなく、クラウドストレージが数十ギガバイトから数百ギガバイトの容量を提供し、写真も動画も大量に保存しやすくなりました。
いわば、写真を撮ることのコストが大きく下がったのが、今なのでしょう。その分、私たちは「撮っておけば安心」という感覚で、特に使用目的があるわけではないにもかかわらず、日々の食事も、外出先の景色も、資料代わりのスクリーンショットも、区別なく積み上げています。
その結果として起きているのが、冒頭の「見つからない」問題です。写真は消えていないのに、大量のライブラリに埋もれて、必要な瞬間に手繰り寄せらない。記録として残っていることと、記録として使えることは、別の問題になっているのです。ただし、これは大容量ストレージとクラウド同期という技術がなければ、そもそも起こりようのない悩みでもあるのかもしれません。
スマートフォンの「思い出」機能:埋もれた写真を掘り起こす仕組み
一方で、スマートフォンには、埋もれた写真を勝手に掘り起こしてくれる機能もあります。Googleフォトは「注目の思い出」として、日付やテーマを手がかりに写真をまとめて再提示する仕組みです。Appleの「写真」アプリには「メモリー」があり、人物や場所、出来事ごとにまとめた写真・動画のコレクションを、音楽付きの「メモリームービー」として見せてくれます。
私は今Pixelのスマートフォンを使用しているのですが、フォトフォルダを開いたときに、「思い出」欄に、すっかり忘れていた「あの日の」光景が並んでいて、懐かしく見返した経験があります。自分から検索したわけではない写真が、向こうから画面に戻ってきた感覚でした。
これは、大量の写真を自動で解析し、日付や被写体、人物のパターンをもとに再構成するアルゴリズムがあって初めて成立する体験です。フィルムのアルバムを自分でめくる時代には存在しなかった種類の「思い出との再会」と言ってもよいでしょう。
出典・参照:
「撮ると忘れる」は、本当に法則なのか
ここで、よく聞く説を検証したいと思います。「写真を撮ると、その場の記憶が薄れる」という話です。これは2013年から2014年にかけて発表されたLinda A. Henkel氏の研究に基づいています。
Henkel氏の実験:全体を撮ると記憶は下がり、ズームでは下がらなかった
Henkel氏の実験では、大学生が美術館を見学し、展示物を「観察するだけ」「全体を撮影する」のどちらかで見て回りました。翌日に記憶を確認すると、全体を撮影した展示物の方が、名称や細部、展示されていた場所を思い出せない傾向があったことがわかったのです。
これは「撮影減退効果」と呼ばれる現象で、写真を撮る行為が記憶の定着を妨げる可能性を示す研究として広く紹介されてきました。
ただし、この研究には続きがあります。展示物の一部にズームして撮影する条件を加えると、記憶の低下は見られませんでした。3つの見学の仕方を並べると、次のようになります。
| 見学時の行動 | 翌日の記憶(観察だけの場合と比べて) |
|---|---|
| 観察するだけ | 比べる基準 |
| 全体を撮影する | 名称や細部、展示場所を思い出しにくい(低下) |
| 一部にズームして撮影する | 低下は見られない |
どちらも「写真を撮る」点は同じです。違うのは、展示物の全体をさっと収めたのか、一部に狙いを絞って向き合ったのかという、注意の向け方でした。この結果は、「撮ると忘れる」ではなく、「どう撮るかで結果が分かれる」という読み方ができるでしょう。
後続の研究:自分で選んだか、写真は残ったか
Henkel氏の後には、条件を変えた研究が続きました。ここでは2つを取り上げ、Henkel氏の結果とあわせて並べます。
| 研究 | 比べた条件 | 記憶への影響 |
|---|---|---|
| Henkel氏(2014年) | 観察するだけ/全体を撮る/一部にズームして撮る | 全体を撮ると低下、ズームでは低下せず |
| Barasch氏ら(2017年) | 自分の意思で撮影できる状況での、見た情報と聞いた情報の記憶 | 見た情報の記憶はむしろ良くなり、聞いた情報の記憶は下がった |
| Soares氏とStorm氏(2018年) | 撮った写真が保存されない条件 | 保存されなくても、記憶の低下が起きた |
Barasch氏らの結果からは、撮影が記憶を一律に下げるのではなく、情報の種類によって上がるものと下がるものが分かれることが読み取れます。指定された対象を機械的に撮る場合と、自分で選んで撮る場合とでは、記憶への影響が違う可能性もあります。
Soares氏とStorm氏の結果は、「どうせ写真が残るから覚えなくていい」という外部記憶への丸投げだけでは、この現象を説明しきれないことを示しています。
こうして並べてみると、「撮ると忘れる」を単純な定説として断定はできません。撮影という行為そのものよりも、何にどれだけ注意を向けたか、自分の意思で選んだかどうかが、記憶に残るものを左右していると考える方が実情に近いでしょう。
ただし、これらはいずれも若い大学生が美術館の展示物や画面上の絵画を短時間だけ見るという実験環境での結果であり、家族や友人と過ごす感情的な出来事や、日常生活全般にそのまま当てはめられる話ではありません。
出典・参照:
- Point-and-Shoot Memories: The Influence of Taking Photos on Memory for a Museum Tour – Henkel (2014), Psychological Science
- Photographic Memory – Barasch, Diehl, Silverman & Zauberman (2017), Psychological Science
- Forget in a Flash – Soares & Storm (2018), Journal of Applied Research in Memory and Cognition
撮るものと、あえて撮らないものを分ける
この「注意の向け方」の話は、私自身の撮影習慣とも重なります。食事の記録や、SNSに載せる写真、仕事の資料代わりのスクリーンショットは、後で正確に見返す必要があるからこまめに撮ります。ただし、実用のための記録であり、細部まで覚えておく必要はありません。写真という外部の保存先に任せておけばいい範囲です。
一方で、大切な仲間と過ごしている時間は、あえてカメラを構えません。上で紹介した研究の含意にならえば、これは「何に注意を向けるか」を自分で選んでいる行為だとも言えるでしょう。」撮らないことは、記録を放棄することではなく、今この瞬間への注意を優先する「思い出としての記憶」という選択なのだと思います。
記憶の風化をどう捉えるか:記録と記憶の役割の違い
この章では、記憶の風化をどう捉えるかを、心理学の知見と、実際に記録が失われた経験から考えます。
心理学が示す、感情の薄れ方と意味づけ
写真は、撮った瞬間の様子をそのまま残してくれます。それに比べて記憶は不正確です。時間がたつにつれて細部が薄れ、いつの間にか自分に都合のよい形へ書き換わっているようにも思えます。ただ、これを記憶の欠陥とだけ言い切ってよいのでしょうか。
心理学には、自伝的な記憶に伴う感情が時間とともに弱まり、不快な感情の方が心地よい感情より速く弱まる傾向があるという知見があります。これは、フェーディング・アフェクト・バイアス(fading affect bias:感情の薄れ方の偏り)と呼ばれるものです。
「風化するからこそ、思い出は美化される」と科学的な証明がなされたというわけではありませんが、関連する知見として興味深いところです。記憶は、正確さを保つための装置ではなく、今の自分にとって意味のある形へ出来事を落ち着かせていく営みなのかもしれません。
記録は「その時どうだったか」を後から正確に確かめるために、記憶は「その出来事が自分にとって何だったか」を意味づけるために、それぞれ違う役割を担っているのです。
出典・参照:
記憶の風化とデジタル記録の消失:失い方が違えば、残し方も違う
記録と記憶の壊れ方の違いを、身をもって知る出来事もありました。それは、以前使っていたスマートフォンが完全に故障した時のことです。Googleアカウントに紐づいてクラウド同期されていたデータは、新しい端末で復元できました。ところが、それより前に使っていた機種で、アカウントに紐づいていない写真は、完全に失われてしまったのです。
復元できた写真と、失われた写真を分けたのは、写真の中身ではありません。アカウントに紐づいていたかどうか、ただそれだけでした。記録は、どこに預けていたかという仕組みひとつで、残るか、ゼロになるかが決まります。
記憶の失い方は、これとはまるで違います。風化はゆるやかに進み、細部が薄れても、その出来事が自分にとって大切だったという感覚は残ることが多いものです。2つの失い方を並べると、次のようになりそうです。
| 記憶の風化 | デジタル記録の消失 | |
|---|---|---|
| 進み方 | ゆるやかに進む | ある日突然、断絶的に起きる |
| 失うもの | 細部 | データそのもの(ゼロになる) |
| 残るもの | 出来事が自分にとって大切だったという感覚 | データとしては何も残らない |
| 残し方の鍵 | 何に注意を向け、どう意味づけるか | どこに預けるか(アカウントへの紐づけなど) |
記録の消失は、預け方を誤らなければ避けられる失い方です。記憶の風化は避けられませんが、何に注意を向け、どう意味づけるかによって、残るものは変わり得ます。だとすれば、「残し方」は記録と記憶で別々に考える必要があるのではないでしょうか。
まとめ:記録は預け方で、記憶は向き合い方で残す
「写真は増えるのに、思い出は増えない」。冒頭の逆説が起きるのは、記録を増やすことと、記憶を残すことが別の営みだからです。写真の枚数は記録の量であって、思い出の量ではありません。
そう考えると、写真が増えて困るのは、撮りすぎたからというより、何のために撮るのかを決めないまま積み上げてきたからなのではないでしょうか。
- 食事や資料のように後で確かめたいものは、こまめに撮って、アカウントへの紐づけなどで失わない場所に預け、探せる状態にしておけばいい
- 大切な仲間との時間は、あえてカメラを構えず、その場に向き合えばいい
何のために撮るのか、あるいは撮らないのかを意識するだけで、記録と記憶、それぞれの残し方を無理なく使い分けられます。
今の時代、人間がすべてを能動的に記憶しておかなくても、AIや自動整理機能が、日付や人物、テーマ等を手がかりに、大量の記録の中から検索や再提示を助けてくれることがあります。
写真は、思い出そのものの代わりにはなりません。けれど、忘れていた「あの日」と再会するきっかけにはなってくれます。その再会を意味のあるものにするのは、その日その場で何に目を向けていたかという、自分の記憶のほうです。
写真は、これからも増え続けます。あなたのフォルダの中に、あとで「あの日」と呼べる1枚は、いくつあるでしょうか。
執筆者
DXportal編集長
町田 英伸
自営での店舗運営を含め26年間の飲食業界にてマネージャー職を歴任後、Webライターとして独立。現在はIT系を中心に各種メディアで執筆の傍ら、飲食店のDX導入に関してのアドバイザーとしても活動中。『DXportal®』では、編集長としてすべての記事の企画、及び執筆管理を担当。特に店舗型ビジネスのデジタル変革に関しての取り組みを得意とする。「50s.YOKOHAMA」所属。


